4月30日 (木)    朝からレッドゾーン

昨日やっておかなければならなかった仕事をやっていなかったから、今日は朝6時45分から頭の回転をレッドゾーンに上げて、とてつもない集中力(自己評価)でとりくんだ。
おかげで10時過ぎにはなんとか形になった。
その時点でぐったりして今日はこれで終わり!というモードであったが、今日はそれが許されない。

12時からぶっ続けで会議・会議・会議。
5限の授業を挟んで、夜は医学部に出向いて打ち合わせ。

本当に今週は夜に何かある。
帰宅が遅くなる。

夜の打ち合わせはガソリンがエンプティになるのではないかと危惧していたが、以外に調子よく議論が運んだ。
朝レッドゾーンに上がった回転が完全にアイドリングにならない状態で夜に突入したのかもしれない。

こういう日は怖い。
次の日を棒に振る。

4月29日 (水)    元天皇誕生日

今日は「昭和の日」の祝日である。
27年前まではこの日は天皇誕生日であった。
この日が祝日として残っていることについてはいろいろな意見があると思うが、私は単に平日が休日になることがありがたい。

今日のこの日をどのように使おうか楽しみにしていた。
昨日、ネットを見ていたら、酒屋の売り出しがあって、昨夜の時点では朝からそこへ行くつもりであった。

ところが朝起きたらどうにも疲れがぬけず、寝坊したにもかかわらずまったく身体が動かない。
で、酒屋に行くのは止めた。
このイベントを「止めウル」というのは自己評価として相当体調がわるいということである。
ここ最近あちこちに行ったり夜遅い日が続いたりと 疲れていて当たり前であることに気づいた。

明日までにやらなければならない仕事をもってきたが、結局これも手につかなかった。
机の上を片付けて、溜め込んでいたビデオをディスクに落とし、ダイレクトメールを整理していたら夜になってしまった。
今日は食事の用意も手抜きだったから時間の余裕はあったはずである。

仕事は明日の朝、集中してやると腹をくくって早めに床についた。
今年のゴールデンウィークは身体を休めることがメインになりそうな予感がした。

4月28日 (火)    夜の会議

なんとなくゴールデンウィークになったかなと感じさせるのは、明日が祝日で休みだからである。
しかし、火曜日であるので、午前中は学外での仕事をやって、午後研究室に戻ってきた。
資料を作ったり、打ち合わせをしたり といつもの時間を過ごした。

夜、19時から玖珠で会議があった。
6時前に大学を出て、高速道路を走っていったが、結構時間がかかり、慌てるほどのものではないものの、余裕がないところで会議が始まった。

第1回目の会議なので、今回は顔合わせ程度で といったような雰囲気になりそうであった。
これではいけないと思い、発言をして、思わず力が入り、数分演説をしてしまった。
私には珍しいことである。

会議が終わったのは20時45分。
この時刻に家に帰っても遅い時刻である。

再び高速道路を走って帰ったが、家に着いたら22時であった。
それからおそい夕食を食べてシャワーを浴びたら日付が変わっていた。
明日は休日だから寝坊できるなと思って目覚ましのスィッチを入れずに床についた。

4月27日 (月)     生活分野新入生歓迎コンパ

この時期、新歓コンパがある。
今年も3年生が幹事となって本日開催された。
大分大学の教育組織の改革によって、生活分野の新入生歓迎コンパは今年が最後となる。

毎年3年生が工夫を凝らして会場を手配し、進行してくれる。
今年は会場の広さも手頃で、料理や飲み物もそこそこ満足できるものであった。

何よりよかったのは、学生が学年を超えて楽しく交流していたこと。
新歓コンパの一番の目的はこれである。
とてもよい会であった。

みんなが楽しそうにしている姿を見ていたら何だかうれしくなって、日頃学生が勉強しないとか、寝坊するなどと目くじらを立てていることが取るに足らないことであることに気づく。
みんないい子どもたちばかりである。
こういう環境で仕事ができることは幸せである。
毎日毎日そういう気分の元で仕事ができるのであればこんな幸せなことはないだろう。

現実はレポートの提出が遅れたり、寝坊して欠席する学生がいる。
学生と関わっていない時間は、会議で血圧が上がり、ない頭を振り絞って書く書類は時間ばかりかかってよいものができない。
挙げ句の果ては睡眠時間に影響し、ときどきボーッとした時間を過ごす。
休日はヘトヘトになってしまう。

今日はよい時間を作ってくれた学生のみんなに感謝!

4月26日 (日)    東京での一日

昨日、講演会が終わってからその日のうちに大分に帰ることができないので、東京に泊まった。
今日は休日なので、さらに東京の食に触れようと、帰りの飛行機を遅めの時間に予約して、東京の街に繰り出した。

その前にホテルの朝食。
バイキングである。
最近は朝食が充実しているホテルを選ぶようにしている。
「朝食がおいしいホテルランキング」などというものもあって、朝食でホテルを選ぶ人も多いことを物語る。

今日のホテルの朝食は新鮮野菜がたっぷりと食べられ、うれしいことである。
タンパク質も摂取しなければならないから、ローストビーフを中心にお皿に盛る。
パンもおいしく、ケーキやフルーツも美味しい。

結局1時間かけて4皿食べて大満足であった。
フロアの若い女の子がお皿を片付けに来てくれるのであるが、そのたびに声をかけてくれて、気持ちよく話がはずみ、食事も一層美味しくなった。
こういうコミュニケーション能力の高い若い人はどこでも重宝される人材である。

昼ごはんは遅めにして、銀座で天ぷらを食べた。
目の前で揚げてくれて、ひとつひとつテーブルまでもってきてくれる。
揚げるところもみることができるので、天ぷらを揚げるコツなどがチラッと見えて、これがまた勉強になった。

気分転換ができ、おいしいものを食べることができ、食に関する知識が増えて、価値ある2日間を過ごすことができた。

4月25日 (土)    伝統食品研究会

東京で開催された伝統食品研究会の講演会に出向いた。
父親がこんな様子なので、行くことができるか不安であったが、入院して医師の管理下におかれることから、こっちは安心になり、彼も入院したから大丈夫だから帰ってよいというので昨日大分に戻った。

そして今日は朝一番の便で上京した。
講演会は午後からなのであるが、せっかく東京にいくのであるから、東京の食文化を感じて教育研究に役立てることにも意義があると思う。

まずは築地のお寿司屋に行く。
いろんなネタが出てくるので、職人にこれはどこで穫れたものかとか、今一番おいしいものは何か とか、寿司に関する話を聞いて知識を増やす。
次に地下鉄で月島に行った。
佃煮を買うためである。
月島駅で降りたら、そこはもんじゃ焼きの土地だということに気がついて、さっきお寿司を食べたにもかかわらず、もんじゃ焼きを食べることにした。
お店の人に焼いてもらいながら、焼き方を尋ね、中に入っている具材のことや、生地のことを聞いてまた一つ賢くなった。

午後からの講演会はおもしろかった。
今回は日本橋がテーマ。
昔、日本橋にはいろいろなものが集まっていたらしい。
今回の講演会で一番印象に残ったのは、「三越」が「三井越後屋」の略であったということ。
三越も元をたどれば三井になるというのは初めて知った。

講演会が終わった後はわずかな時間をみつけて歌舞伎座。
中村鴈治郎襲名披露の講演であった。
有名な俳優がたくさん出てきた。ときどき「成駒屋!」「島屋!」などと声がかかる。
詳しいお客がいるのだなぁと思っていたが、どうやら声かけ専門のスタッフが客席に潜んでいて、声をかけているようである。

夕食はビヤホール。
ビールを美味しく飲むためには、ビールをどのように注いだらよいのかを尋ねたりするとまた知識が増える。

とどめは、ホテルのそばのチョコレート。
1g29円の量り売りで、一口分のチョコレートを買ったら700円であった。
普通のチョコレートの10倍の価格である。
このチョコレートはどこで作っているのか、どうやって作っているのか、どうしてこんなに高価なのか といろいろとお店の人に尋ねると、ひとつひとつ説明してくれて、さらに知識が増えた。

こうしてときどき上京して大分では得られない生の情報を得ることはとても楽しい。

4月24日 (金)    最後の食事

朝一番で父親を病院に連れて行って、診察に付き添ったら、医師からドクターストップがかかって、父親は即刻入院することになった。
彼もそれを望んでいたようであった。
2月に母親が施設に入ってから父親は一人暮らしとなり、その後も体調がよくないから毎日電話をして様子を聞いていたが、相当無理しているなぁと思ったので、入院の勧めは私にとっても安心できることであった。

診察後、簡単な検査を受けて、荷物を取りに一度家に戻ろうということになった。
帰り際に母親の様子も見に行こうということになった。
母親との面会もそこそこに、今回の入院は長くなるから、いろいろと整理しておかなければならない。
新聞を止めて、家の冷蔵庫を片付けた。

ここでようやく気がついたのだが、ドクターストップがかかり、二度と一人で暮らすことができない。
自宅で暮らすなら、常に誰かが面倒をみていること。それができなければ高齢者施設に入ること を強く勧められた。
冷蔵庫の中身を片付けて、持ち帰ることができるものは持ち帰られるように整えた。

ふと見ると、昨日つくってもらったごはんがあった。
これをおにぎりにしていたら悲しくなって涙が出てきた。

これまで実家に行くと、父親がごちそうを作って待ってくれていたのであるが、もう二度と彼の作ったごちそうを食べることができない。
このごはんが最後の食事である。
冷蔵庫に残っているものは生卵6個、ピーマン1つに至るまで決して捨てないようにしてすべて持ち帰ることにした。
彼が食べようと思って買ってきた最後の食材である。

いつかはこういう日がくることは覚悟していたが、いざそうなってみると悲しい。
しかし亡くなってしまったわけではないのでこのくらいのことであまり悲しみすぎてはいけない。

今後の父親の人生が少しでも楽しく過ごせるように段取りを設定するという新たな仕事が始まる。
お給料をいただく仕事も大切だが、お金にならないもっと大切な仕事である。

4月23日 (木)    ドミノ倒し

先週の経過観察の検査を受けてからどうも調子が悪い。
1週間経ってもよくないので、主治医に連絡して診てもらうことにした。
下の子が一昨日から大分に来ていて、私が病院に行く時間と彼が福岡へ戻る時間がうまく合ったので、病院へは彼に付き添ってもらった。
なんとなく安心できる。
家族がそばにいると心強い。

夜は実家に向かった。
父親の具合がすぐれず、明日の診察に付き添うためである。
これまでよっぽどの時以外は病院に付き添ってくれとは言わなかったのであるが、先々週、今回と付き添ってほしいというのは相当具合が悪いと自覚しているに違いない。

夜の飛行機で向かい、レンタカーを借りて実家には22時に到着した。
夕方、夕ごはんが用意できたから食べるようにと電話があった。
おなかをすかせて実家にたどり着いたので、食べ過ぎた。

今日は親の自分が子どもに病院に付き添ってもらい、
明日は子の自分が親の病院に付き添う。
ドミノ倒しである。
一人で二つの役をもつ。

4月22日 (水)    会議7連発

今日は朝から会議に明け暮れた。
8時40分から7連発であった。
会議といっても、重い軽いがあって、座長として取り仕切らなければならないもの、発言を求められるもの、勉強会的なもの、聞いているだけのもの といろいろある。
重い会議が重要で軽い会議が重要ではないというわけではない。
それぞれに重要である。

しかしながら、やはり取り仕切らなければならない会議は、予め準備をしなければならないし、勉強もしなければならない。
いつも勉強不足を感じる。
しかし会議を終えたらひとつ知識が増えている。

今日は昼ごはんを食べることができないことを覚悟したが、幸い最小時間の昼食時間は確保できた。
また、実験を予定していたが、会議と会議の合間になんとかこなすことができた。

ということで、今日はデスクに座って考え事をする時間を全くとることができなかった。
疲れた。

夜は外で食事を取った。
少しビールを飲んだだけで相当酔ってしまった。
ヘトヘトになって帰宅してからお弁当を用意してシャワーを浴びて床についた。

濃い一日であった。消耗した。

4月21日 (火)    爽やかな季節

木の芽が息吹いて気持ちのよい春らしい気候になってきた。
今日は午前中、学外に出ていたが、帰りは歩いて帰ることにした。
歩くこと30分、風邪が少しあって、快晴というわけにはいかなかったが、汗ばむこともなくとても気持ちがよかった。
日頃研究室の中に閉じこもっているから、季節の変化や日差しなどを感じることが少ない。
忙しくて研究室を出るヒマもないと言ってしまえばそれはそうではあるが、たまには外に出て自然をかんじることがエネルギーのチャージにつながる。
歩くと頭も冴えてくる。

4月20日 (月)     モノが壊れるタイミング

研究室や実験室にはたくさんの機器があるが、モノには壊れるタイミングがある。
実験室の機器が壊れるタイミングというのは、毎年少しずつ調子が悪いモノがあるというのはなく、何年かに一度どかんとくる。

新しい年度になるやいなや、あちこちで機器が壊れ始めた。

まず、プリンタがやられた。
8年前に購入したカラーレーザープリンタである。
メーカーに尋ねてみたら、そろそろ交換時期だと修理ではなく新しいものを勧められた。
これを購入することにした。
飼育室のエアコンの具合がおかしくなってきた。
ごまかしたら何とか動き出したが、近いうちに壊れるだろう。
窒素測定装置もメンテナンスが必要である。
純水製造器も怪しい。
脂質抽出のためのブレンダーも怪しい。
ノートパソコンも足らない。

こんな調子で対応していくと。100万円ほどがすぐになくなる。
研究費を圧迫する。

私生活でも、何年かに一度、家財を一度に買ったりしてたいへんなことになる。
私生活では計画的に購入していけばなんとかなるし、それを見越して貯金もするからそこそこ対応ができるのであるが、実験機器は突然壊れ、壊れたお金ができるまで待つなどと言うことをしていたら実験が進まないからすぐに買わなければならない。
悩ましい。

4月19日 (日)    新学部説明会

平成28年4月の設置および改組を目指して申請・申請準備をしている「福祉健康科学部(仮称)」・「教育学部」の説明会を行った。
大分県内高等学校の進路指導主任の先生方を中心に50名ほどの先生方が集まってくださった。
日曜日であるにもかかわらず、生徒のためにとお越しいただいたのである。
頭が下がる。

学部の内容、入試の構想などについて説明をした。
私は主として福祉健康科学部の入試について説明をした。

大学入学者選抜試験については、今後加速度的に改革が起こる。
これまでのようにやっていては、いずれ志願者がいなくなる。
学生がいないということは、国立大学として存在意義がないということになる。

将来の方向性を見据えながら先んじて改革を行っていくことは必要であるが、塩梅が難しい。
あまり早すぎると理解を得ることができず、一つ間違うとその後方針が変わってしまうことがある。
様子を見ながらゆっくりやっていると出遅れて後手後手に回る。

「改革」ということばはひとつのトレンドになっているような感がするが、何でもかんでも変えればよいというものでもないと思うし、かといって何もしないということはあり得ない。
「改革」ではなく「改善」という意識に立てば見えてくるものがあるのではないかと思う。

4月18日 (土)    ほどよい一日

ようやく週末である。
少し寝坊をして朝食を摂った後、ドライブを兼ねて予約しておいたお酒を買いに行った。
産直販売所を覗いたら大きな筍が売られていた。
最近筍の美味しさに目覚め、筍を使ったメニューを作って楽しんでいる。
その筍を買ってきて、さっそく湯がいた。
IHの強みで、タイマーをセットして街へ買い物に出かけた。
買い物から帰ったころにはゆであがっていた。

昼ごはんをそそくさと食べてから研究室に出向いた。
毎日作業を必要とする実験を行っているからである。
最近はよほどのことがない限りは週末には研究室に来ないことにしている。

実験が終わって少し資料を整理して夕方早めに帰宅してから、筍を使った料理をいくつか作ってみた。
筍ごはんが美味しかった。
筍と牛肉の煮物は少し味が濃かった。

お酒も飲んだ。
部屋の掃除もした。
新聞もゆっくり見た。
テレビで野球をみたらドラゴンズが勝った。
夜は早く寝床に入ることができた。

まことに理想的な一日であった。
今日くらいの程度の仕事があって、買い物に行ったり家の仕事ができる毎日が理想である。
今日のような日がバランスがとれた一日であると思う。

こういう日はたまにしかないからよいと思うのかもしれない。
毎日今日みたいな日であったら、また考え方が変わるのであろう。

4月17日 (金)    へとへとの週末

何だか今週はひどく疲れた。
講義が始まり、立って話すという作業は結構くたびれる。
週末の今日は午前中いっぱいをかけて大きな実験をやった。
実験が終わって研究室に戻ったとき、しばらくの間放心状態で何もできないほどくたびれた。

昼食を摂ってから医学部に行って打ち合わせ、その後もちょっとした打ち合わせをしたが、午後からは比較的余裕があった。
夜の大分駅はアミュプラザが賑わっていてなんとなく楽しくなったが、へとへとになって家にたどり着いた。
帰宅して数分したら家人も帰ってきて、もう今日は夕食の支度をする元気もないし、アミュプラザのレストランが気になるということで意見の一致を見て、へとへとになった足を引きずって再び大分駅に出向いた。
朝大分駅に行き、14時間後にはまた大分駅である。

アミュプラザのレストラン街はここが大分市とは思えないような雰囲気であった。
どこもここもお客さんが並んでいて、一通りお店を見てどこで夕食を摂ろうか相当迷った。
で、結局オープン記念特別メニューなるものに惹かれてある店に入った。お店に入るまでしばらく待たされた。

注文をしてから10分、20分経ってもなかなか料理が出てこない。
30分待っても出てこない。
そうこうしているうちに、私たちより後に入ってきた客の所に私たちが注文したものと同じ料理が届いている。
店の人を呼んでどうなっているのかと尋ねたら、
「すみません、オーダー入っていませんでした」

へとへとの身体でお腹も空いているところにその台詞は私の逆鱗に触れ、「このお店には二度と来ないから」と捨て台詞を残して店を出て、再びさまよった。
そして別のお店に入って料理を注文したらそこそこの時間で出てきた。
さっきの店での不愉快な気分を引きずっての食事だったからあまりおいしくなく、こんなことなら家でまずい料理を食べていた方がよほどおいしかったととても後悔した。

そこそこのお店はたくさんあるが、どこも都会価格。
どの店も都会価格を支払うのに値するほどの料理とも思えず、外食は出張や旅行に行ったときに限ることとし、日常では月に一度のランチとときどきの会席料理を楽しむこととする。
この程度の贅沢で十分である。

へとへとの身体にカウンターパンチを浴びたような気分で帰宅したらそのまま寝床に直行した。

4月16日 (木)    大分駅ビルオープン

大分駅ビルが完成し、アミュプラザおおいたが開業した。
あとは来週のホテルの開業を待つのみである。

アミュプラザには多くのお店があり、前々から気になっていたお店もたくさんあったので、仕事帰りに寄ってみた。
大分のどこにこんなに多くの人がいるのかと思うほどの人が集まっていた。
ここが大分かと思うほどの都会的な雰囲気である。

1999年に街の中にマンションを買うとき、「今から大分駅の再開発が始まり、15年くらいしたらこのあたりもずいぶん変わりますよ」と言われたときは夢物語であったが、本当に現実のものになった。
当時は大分駅の南口は裏口と呼ばれ、南口から線路沿いに歩いていると、寝台特急彗星が出発のための入替作業をしていたことを思い出す。
その頃は大分というのはずいぶん遠く離れた土地なんだなぁと思っていたが、大分駅が新しくなったら大分が東京に近くなったような気がした。

しかし別に私が気にすることでもないのだが、こんなに大きな施設を作って、将来にわたって繁盛するのだろうかと心配になった。
オープンしてしばらくは人が集まるだろうが、定着するだろうか?
今日のオープン日は、道路も駐車場もめちゃめちゃ混むので、公共交通機関を利用するように と聞いていたが、報道によるとそれほどの混乱もなかったようだ。
ということは、期待していたより人が集まらなかったのではなかろうか。

まぁそれはそれとして、しばらくの間は大分駅が楽しそうである。
お金使いも粗くなりそうである。

4月15日 (水)    進学説明会

今年も進学説明会の季節がやってきた。
会場に多くの大学や短大、専門学校がブースを設けて、主として高校生の進学相談に対応するイベントである。
入試委員長を務めているときには、進学説明会は重要な仕事であったから、頻繁に出かけていった。
今年は久し振りに説明会に出向いた。
平成28年4月設置申請中の「福祉健康科学部(仮称)」の説明のためである。

いろいろな高校生がやってくる。
熱心に話を聞く生徒、なんとなくぼんやりした生徒、目的意識の高い生徒、ちょっと寄ってみようかという生徒・・・。
どの子どもたちも目が輝いている。
こういう純粋な目を見るのがうれしい。
進学説明会はトイレに行くヒマもなく忙しいが、高校生の顔を見ることができるのが何よりうれしいことである。

今年は「福祉健康科学部(仮称)」の説明であちこちの説明会に出向くことになろう。
どんどんアピールするので、一人でも興味を持ってもらって、是非志願してほしいと心より願う。

4月14日 (火)    経過観察

昨年秋に手術をしたがんが再発していないかどうかを定期的に観察している。
先回は1月に観察したが、そのときには問題がなかった。
私のがんは再発率が非常に高いらしいので、マメに経過観察を行わなければならない。
以前尋ねたとき、主治医の経験では13回の再発治療を行った経験があるという。

観察の結果、再発はないということで一安心をした。
これでまた3か月は普通に動くことができる。
また入院ということになると、公私ともにダメージが大きい。

がんの再発はなかったが、周辺臓器に具合が悪いところがあり、こちらは直接生命に関わらないものの、根治手術を行ってQOLの改善を行ったらどうかというサジェッションがあった。
治療法は極めて低侵襲なので、短期間の入院で済むという。
しかし、いかに低侵襲であっても、身体の一部を切り取るということは必ずダメージを受ける。
できるだけ避けたい。

ということで、今回は一度持ち帰って考えさせてくれ と言って帰ってきた。
インターネットで調べてみると、勧められた治療法の有効性や安全性を訴求しているものばかりである。
悪いことは何一つないような書きぶりである。

しかし、やはり手術であるから、よいこともあれば悪いこともあるわけで、そのことについて述べられているものは何もない。
手術によるリスクやその後のQOLについて主治医に尋ねたら教えてくれたが、多くの人にはそのリスクはあまり大した問題にならないのであろうが、私のQOLにとっては大きなダメージである。

なので、できるだけ引っ張って、どうにもという事態になったら治療を受けるという考え方でしばらく様子をみようと思う。
という選択をすると、治療を受けないことによるQOLの低下というリスクを背負うことになる。
リスクの程度は年齢によって変わってくるから、治療を受けるリスクがそのときのQOLに差し支えがないと思えるようになったときも治療を受けるタイミングかもしれない。

4月13日 (月)     週初めからくたびれました

新学期が始まって、授業も本格的になった。
授業が始まると、教員も授業がメインになるので、出張などが減るのであろうか、会議や打ち合わせの数も増える。
今日も朝から打ち合わせ、打ち合わせ、講義、打ち合わせ、打ち合わせ、打ち合わせ、講義、実験、打ち合わせ といった感じで終わった。
打ち合わせの内容は全部違うから、うまく整理がつかない。
打ち合わせでは同じことばかり言っている。
議論が頭に定着しない。
どう考えても軽度認知障害に陥っていると思う。

打ち合わせが終わると、必ず宿題があるから、これに対応しなければならない。
打ち合わせが終わってから宿題をこなしているとどんどん夜が遅くなる。
朝食、昼食は打ち合わせと打ち合わせのちょっとした合間に少しずつつまむといった感じで食欲を満たした。
ヘトヘトになって家に帰り、かろうじておべんとうの準備をしたが、夕食は立ったままでつまみ食いのような食事になってしまった。

今日、講義の中で、健康を保持するためには「1日3回、規則正しく食事をする」ことが大切なのではなく、最も大切なのは、「1日3回規則正しく食事をすることができる生活パターンで毎日を過ごす」ことが大切だと話をした。
言ってることとやってることが全然違う。

4月12日 (日)    続・千種高校1年5組

42年経ってもみんなの根っこは変わらない。
なんやかんや言って、クラスで目立っていた奴は同じテンションで個性を発揮している。
黙々と真面目だった奴は42年経っても無口であったが、味がある。
人あしらいが得意だった奴は小学校教員として職を得てその特技に磨きがかかり、取り仕切りが絶妙である。

大分から出かけた私は一番遠方からの参加であった。
集まった仲間は地元に残っているか、関東地方で暴れているかどちらかである。
出世頭は今飛ぶ鳥を落とす勢いの損害保険会社の社長である。
帰ってからその会社のHPを覗いてみたら、そいつが真面目な顔をして、真面目な挨拶文を書いている。
その写真の顔を見て思わず笑ってしまい、真面目な文章を見て笑い、自筆のサインは42年前と同じようにへたくそでまた笑ってしまった。

今はみんな仕事での円熟期であるから、それなりの重要な仕事をしている。
しかしそれは仮の姿。
いずれ仕事はなくなる。仕事がなくなればただのおじさん、おばさん。

そんなときに何の気を遣うこともなく同じ目線で話ができるという人間関係は学生のうちに築かれた人間関係であり、それが人生の中でもっとも大切な人間関係であると思う。

となりに座った女子は、今回のお膳立てをしてくれたのであるが、話をしていたら、大分に住んでいて、子どもは当時の医大病院で出産したという。
思わぬ接点があって盛り上がった。

彼女が「望月くんは大分に骨を埋めるつもりなの?」と聞いてきた。
私は「うーん。長い間大分にいるから、名古屋に帰っても友だちとも疎遠になっているし、大分では仕事以外で友だちとよべるような人間関係を作れなかったからどうしようかと思っているんだ」と言ったら、彼女は「戻っておいでよ。こうやってみんながいるじゃない。」と言ってくれた。
なんだかとてもうれしく涙が出そうになった。
やっぱり子どもの心に戻ることができるのは子どもの頃育った場所である。
故郷に戻る人が多いのがわかったような気がした。

こんな暖かな故郷があった。
明日からまた仕事を一生懸命やろうというエネルギーが湧いてきた。

4月11日 (土)    千種高校1年5組 

42年前のクラスのクラス会があった。
出席した。
45人のクラスであったが、22人の出席があった。
最初は誰が誰だかさっぱりわからなかったが、自己紹介をしたり、話をしていたらだんだん誰がだれだかがわかってきた。

いつの間にか気持ちは42年前の無謀無鉄砲の時代に戻っていた。
この歳になっても気持ちは高校生に戻ったから、「男子」「女子」と区別したり、名字を呼び捨てにして話が盛り上がった。
「男子」「女子」は「おじいさん」「おばあさん」。
呼び捨てで読んでいる相手の人間は、大会社の社長、大会社の役員、大学教授、小学校教員、元CA など、客観的にみたらおよそ頭が上がらない連中ばかりである。
頭もてかてかに光っている奴、白くなっている奴、およそ同じ年の人間の集まりとは思えない。
女子も女子で、本当のおばあさんの女子がいたり、子育て現役の男子もいる。
でもみんな同じ年だから、へんな気遣いをしなくてよい。

よく言われることであるが、男子より女子の方が若い。このクラスも女子の方が若い。
理由はよくわからない。女子の中にも苦労した女子はちょっと老けている。

このクラス会の様子を書き出すと果てしがないが、ひとまず11日のつれづれ日記の話題としては次の言葉で締める。

「今日ここに集まることができた人は幸せだと思います」というのは幹事の冒頭の挨拶。
ハッと気づかされた。本当にその通りである。
どうしても来ることができない奴が一人いた。
住む世が変わってしまったのであった。
合掌。

4月10日 (金)    父親の主治医    

85歳の父親の体調がよくない。
昨年10月半ばに、「食欲がない」から始まって、身体がものすごく疲れるとか目眩がするとか、明らかにこれまでになかったようなことを言い出した。
10月末に顔を見たときに確かに疲れているように見えたので、なるべく早く病院に行くように勧めておいた。
10月31日に病院に行ったら、即刻入院した。
幸い数日で落ち着いたので退院してきたが、その後も体調はすぐれず、激やせするなど、より悪くなっていった。
それまで老老介護で母親の面倒をみていたが、それもままならないような状態になって、今年の2月に母親を施設に入れることにした。

父親はどうやら心臓が弱っているとのことらしかった。
主治医は彼に対して、「あなたも施設に入ったらよい」とか、「水は飲むな」とか、上から目線で指示を出すので、理由を知らされない父親はこの主治医に対してよい感情をもっておらず、いつも嫌っていた。主治医の指示も守らなかった。

今週月曜日に診察してもらったら心臓の具合がより悪くなっているらしく、新たな薬を処方され、金曜日にまた来てくれと言われたという。
ちょうど今日は私が午前中に時間を取ることができたので、父親に付き添って、主治医にいろいろと聞く機会を得た。

この病気がどういうものであって、今の治療がこのような目的で、期待される効果と、治療がうまくいかなかった場合の危険性について、専門用語を交え、40分にわたり、懇切丁寧に説明してくれた。
私は多少知識があるので、主治医の説明は非常に丁寧でわかりやすかった。納得もした。

父親には丁寧な説明をせずに、私には詳細な説明をした主治医は一言で言えば、「頭がよい」人なのである。
こういう人が陥りやすい穴は、素人にわかりやすく説明するという能力に欠けていることである。
医師の気持ちとして、推測であるが、理解力の乏しい高齢者に理屈を言っても理解されないだろうから、言っても無駄。ならば結論だけ言っておけばよい ということになるのだろう。
もしそういうことだとしたときに、理解できる部分もある。
限られた時間内に、素人にわかりやすく説明することはなかなかむずかしい。

理解できる面もあるが、医師としてはやっぱり今ひとつだなぁと思う。
医学者として立派なことと、医師として立派なことは異なると思う。
病気のことを詳しく知っていることは重要であるが、患者がその指示に従って初めてその効果が出る。
患者に反感を持たれたら、医師の言うことを聞かなくなって、それが結果的には患者の状態を悪くすることになる。
そうなるんだったら、いくら有能な医師でもそのような医師から治療を受けることはマイナスである。
病気の治療は患者と医師の信頼関係がかなり大きな要因であると思う。

まことに医師という職業は知力体力人間性すべての面において秀でていることが求められる。
並の人間にはとても務まらない職業である。

4月9日 (木)    初講義

1限は約100名の1年生対象「現代生活論」の初講義であった。
新入生はみんな緊張した面持ちで私の話を真剣に聞いている。
こっちも初めての講義なので緊張する。
毎年のことである。

黒板に字を書くと、ようやくごそごそとノートを取り始める。
黄色のチョークで文字を書くと、ごそごそとペンケースをいじって赤で書いている。
高校までの学びがこのパターンであったから、急に「黒板に書いていなくてもメモを取る」ことは不慣れである。
毎年のことである。

授業が始まって40分くらい経過すると、学生が疲れてくる。
ついこの前まで、50分の授業で育ってきたから、90分の授業はとてつもなく長く感じられることであろう。
「緊張感を保つことができません」と顔に書いてある。
毎年のことである。

ここでちょっと休憩を入れて、自由にさせると、学生はホッとする。
毎年のことである。

ところが、毎年と違うことがあった。
休憩を入れたときに、周りの仲間と談笑したのである。
これまでの経験では、休憩を入れても緊張して黙っていた。

入学して1週間も経っていないのに、周りの仲間とコミュニケーションがとれる能力があるということは将来頼もしい。
このような才能をいかに伸ばしていくかを考えることが私たち教員の大きな役割であると再認識した初講義であった。

4月8日 (水)    満足した晩ごはん

今日も打ち合わせや会議が夕方まであって、研究室に戻った後はメールをチェックするなどしていたらけっこうな時間になってしまった。
ちょっと買い物をして郵便局に寄って帰ったらそこそこの時間になった。

それから晩ごはんの支度である。
晩ごはんで何を食べようかというのは、帰りの列車の中で冷蔵庫に入っているものを思い出し、帰りにスーパーによってよい食材があればそれを買って帰って何か作る。
最近は疲れるので、ちょっと温めればはい!できあがり みたいな手作り風の料理でごまかしているが、できるだけ素材から何か作りたい。

冷蔵庫にはブロッコリーがあったので、それをゆでた。
日曜日にがんもどきのようなとうふのような練り物のようなそんなものがあったから、これをそのまま皿に載せるのではなく、だし汁の中に入れてすまし汁風に手を入れてみた。
それらを加熱している間に、春キャベツを千切りにして、最後は日曜日に買っておいた黒豚ロースを焼いた。
手際がよく30分かからずに食卓ができた。

久し振りにまともな晩ごはんであった。おいしくて、栄養素のバランスもまぁよい。
手際もよかったので大満足であった。
ごはんを食べ終えて、食器を洗ってから、おべんとうの準備をした。
がんもどきと焼き肉は予めお弁当に入れようと思って多めに作っておいたのが、ちょうど冷えて、お弁当箱に入れるのにちょうどよいタイミングとなった。

こんなにうまくいくことは滅多になくて、こういう日があると、仕事がうまくいかない日でも「終わりよければすべてよし」ということで気持ちよく床についた。
こういう日は滅多になくて、たいてい仕事がうまくいかなくて、晩ごはんを作るのに恐ろしく時間がかかって、挙げ句の果てに量的・質的にもたいした晩ごはんにならず、ヘトヘトになって晩ごはんを食べて、ふらふらになって食器を洗って、お弁当箱におかずを詰めいると、お弁当箱をひっくり返したり とどーん!と落ち込み、お酒を追加して無理矢理床に入る。

4月7日 (火)    16名の新入生

生活分野は16名の新入生を迎えた。
今日ガイダンスを行った。
みんな希望に満ちあふれてよい顔をしている。
推薦入試や後期入試で顔を見ている新入生が8名いるのだが、さっぱりわからない。
制服姿で緊張している顔と、私服できらきらしている顔は別人である。

この学生たちが卒業する4年後に、日本はどうなっているだろう。
予想もつかないが、4年間はあっという間に過ぎてしまうことだろう。

この新入生たちが、病気や怪我をせずに、充実した学生生活を送り、今日のような希望に満ちあふれた顔で卒業式を迎えさせることが私にとっての一番のミッションであると思う。

4月6日 (月)     若い頃もっとやっておけばよかったと後悔していること 

この前、若い頃にもっと人脈を作っておけばよかったと後悔したと書いた。
後悔していることはいっぱいあって、そのひとつに英会話がある。
これまでの人生の中で、英語が必要になる場面はほとんどなかったから英語を怠ってきた。
論文を英語で書くことはあったが、アメリカなどに出かけていったときもカタコトの英語で何とかなったからそのままにしておいた。
国際学会で口頭発表はやらなかった。

1月に大分大学に交流大学の学長一行がおみえになって、夜歓迎会が行われたとき、コミュニケーションは英語であった。
いわゆる日常の話がとっさにできないので、まともに話ができなかった。
グローバル化に対応するために、今後学生にどういう教育プログラムを提供していけばよいかを考える立場として恥ずかしい限りである。
他人には英語だ!グローバル化だ!と言っておきながら、自分はまったくできない。

若いうちにもっと英会話を勉強しておくべきであった。後悔している。
まだまだ今からでも遅くないという考え方もあるが、今から勉強しようという考えは小さい。
他に優先順位の高いやりたいことがいっぱいある。

けれど、ひょっとしたら今から勉強したらまた新しい世界が開けるかもしれないと思ったりもする。

4月5日 (日)    休日のドライブ  

4月になり、新学期を迎えてまた忙しくなることだろう。
最近は、週末はどうしてもの時以外は大学に行かない。
なるべく家にいるようにと思っている。

ところが言っていることとやっていることが全く違っていて、うそつきおじさんになっている。
週末はたいていどこかに出かけている。
ただ出かけるのはプライベートな用件であるから、気分転換のためだ と言えばその通りではある。

今日は前から気になっていたイベントがあったが、直前まで行こうかやめようか迷っていた。
朝、予想されていた雨が降っていなかったので、出かけた。
運がよいことに、イベント会場に行くまでに小雨が上がって、楽しいイベントとなった。
車で出かけたので、いつも立ち寄る激安バイキングでお昼ごはんとし、いつも立ち寄るお店でお肉と豆腐を買って帰ってきた。

帰ったらどっと疲れが出て、しばらく動けなかった。
出かけたことを後悔した。
心の疲れは若干とれたが、身体の疲れはますます蓄積した。

ストレスが溜まると、それを解消しようと、脅迫感のようなものを感じて休日に出かけてしまう。
出かけるとまた疲れが出る。
悪循環でもある。

ストレスは外からやってくるものではなく、自分の捉え方一つでストレスになったりそうでもなかったりする。
肉体の調子がよいときの方が、ストレス耐性が上がるような気がする。
そういえば、少し前に「ストレス度チェック」なるものを試してみたら、グレート0からグレード4までの中のグレード3であった。
溜まっているらしい。

4月4日 (土)    入学式 

グランシアタで入学式が挙行された。
一昨年から、職務としてステージの上で参加させていただいている。
ステージから見ていると、入学式は卒業式に比べて黒い。
全員がスーツを着ているせいであろう。

入学式の前後、グランシアタ付近を歩いていると、保護者とともに歩いている新入生の姿がたくさんあった。
新入生はなんとなく緊張気味。
おそらくこれから始まる大学生活、人によっては一人暮らし と何かと不安になるのであろう。
ひょっとしたら希望より不安の方が大きくはなかろうか。

それに引きかえ、保護者の顔は喜びに溢れている。
うれしいことだろうと思う。私も経験がある。

子どもを育てて、大学に入れば、親の役目として一区切りつく。
しかし、入学は大学で勉強する入り口に経ったばかりで、大学でいかに成長するかが大切である。
立派に成長してくれるように導いていく私たち教員の責任は重い。

4月3日 (金)    食事会    

学外の会議でいつもお世話になっている方々から、「一度食事に行きましょう」とお誘いを受けて、今日それがかなった。
会議ではいつも親しくしていただいている方々なのなが、こうして食事を一緒にすることは初めてである。
美味しい創作料理をいただいて、味もよく大満足した。
話もはずんで、いつもの会議の雰囲気がさらにパワーアップしたような雰囲気だった。
さらには、「遅くなりましたが病気全快のお祝い」と気遣ってくださって、花束をいただき、挙げ句の果てにはごちそうになってしまった。
恐縮することこの上ない。

今日のメンバーは、まったく異業種といってよいので、話が新鮮だった。
特に物事の見方が私には全く想像できなかった切り込み方をするのでとても新鮮だった。
そうやって盛り上がっていたら、お店が閉店になった。
閉店になるまで盛り上がっていたということである。

思い起こしてみると、大分に来てから極めて狭い世界の中で生きてきたような気がして、これは後悔の一つである。
もっと多くの人と交流を重ねておくべきであった。
いわゆる「人脈」を学外にもっと多く作っておくべきであった。

そんなことを考えると、もっとやっておかなければならなかったなぁと思うことはいっぱいあって、そのことはまた書いてみようと思う。

4月2日 (木)    ブログ再開

一昨年あたりからブログが怪しくなって、ついにダウンして一年が経ってしまった。
昨年頃から忙しくなったというか、それは言い訳なのだが、ブログを書くことの順位がかなり落ちてしまってずるずると一年経ってしまった。
ただ、ブログを書かなくなってフェイズブックを始めたから、ときどきそこに書いたりしていたので、お友達には少しは状況を知っていただけたのではないかと思う。

せっかくホームページを作っていて、ここには研究の軌跡や卒業生の名簿などがあるから、記録として残しておくことには価値があると思う。
だからといって何年も更新しないのはよくないし、その部分だけ更新してもつまらないから、ブログも再開してみようかと思って4月から書き始めた。

いつまで続けることができるかわからぬ、三日坊主で終わってしまうかもしれないが、とりあえず毎朝、ほんの数分の時間を取って何か書いてみようと思う。
こうして久し振りに書いてみると、なかなか筆が進まない。
文章もつまらない。

ブログを書くということはさらさらと文章を書くことのトレーニングになると思う。
そんなことでぼちぼち再開します。

4月1日 (水)    28年目

教員生活28年目。
長く続いているものだと思う。
こっちは毎年歳を重ねていくのだが、学生は毎年18歳〜22歳であるので、彼女たちを見ていると自分も歳を取っていないような錯覚に陥る。
しかし学外に出てみると、同じ歳格好の人が重要な役職を担っていたりする。
気持ちが若いことはよいが、客観的にみたとき、それなりの年齢でそれなりの仕事をしているはずである。
新しい年度が始まった。
年齢なりの仕事をしなければと思うが、若い気持ちを忘れないようにしたいと思う。
それが一つのモチベーションになる。