3月18日 (火)    よく学びよく遊ぶ

本当は「よく学びよく遊べ」である。
これをことわざ辞典で調べてみると、その意味は
「りっぱな人間になる ためには、勉強するときにはしっかりと勉強をして、遊ぶときにはとことん遊ぶべきだ ということ」とある。

私なりに最近の自分のことを思い浮かべながらこの言葉について考えてみた。
「よく学びよく遊ぶ」になる。
その意味は、「よい仕事をするためにはよい遊びが必要である」ということである。
もう少しかみ砕いて考えてみる。

最近、思い仕事というか、気を遣う仕事が増えた。というか、仕事についてこれまで以上に気を遣う。
なので、気持ちが相当疲れる。
そんな状態が続くと、心が重たくなってしまい、アイディアもわかず、動くのもおっくうになる。
すると仕事の質が落ちる。

そこで気分転換が必要となる。
気分転換のためにはよい遊びが必要である。
質的にも量的にもよい遊びが必要である。

「質的」というのは、そのときどきで変わってくるが、「量的」といった観点からみると、よい仕事(というか重い仕事)をしたら、それに費やしたのと同じ時間を費やして遊ばないとリカバーしないことがわかってきた。
あえて仕事を切って遊ぶことも必要であると思う。

仕事が忙しくなればなるほど、遊びにかけたいと思う時間も増えて、両者にどう折り合いをつけていくかがこれからの課題である。
一つの方向性として「重い仕事」の重さが軽く感じるように気持ちを整えることが考えられる。

3月17日(月)    眼医者

パソコンのディスプレイを見ている時間が長いせいか、最近特に右目がつらい。
しょぼついたり、痛くなったり、熱を持ったりする。
もともと白目が充血するので、それを緩和する目薬を使っているのだが、疲れ目には効かない。
これまでにいろいろな種類の目薬を使ってきたのだが、どれも今ひとつである。

少し早めに仕事を切り上げて眼医者に相談に行ってきた。
いろいろな目薬を試してみても効かないと訴えたら、医師は逆転の発想で「涙が出なくなる薬を使ってみましょう」と1本の目薬を処方してくれた。
涙が出ないからドライアイになっているのかと思っていたので、涙が出なくなったら余計悪くなるのではないかと思ってしまう。

しかし、医師はこれまでにいろんな症例を見て判断するし、薬は100%効果があるというものはないから、こうやって試行錯誤していくのはよい方法であると思う。
早速明日、目が疲れてきたら使ってみようと思う。

3月16日 (日)   のんびりした一日

昨日今日と遠出をする予定もなく、特に今日はのんびり過ごした。
早朝に1週間分のお弁当に使う常備菜を作り、その後少し買い物に行って、昼間には駅前で行われているイベントを見に行った。
見ただけで帰ってきた。

午後からは録画していた番組を整理したり、散らかっていた部屋を少し片付けたり、だらだら過ごした。
こういう休日もよいなぁと思いながら、これも元気でいつもどこかに出かけたいと思っているからそう思うのかもしれない。
毎日出かけるところもなかったら毎日が今日みたいな日になるのであろう。
それもいいなぁと思ったり、毎日忙しいからこそこういう一日が楽しいのかもと思ったりする。

3月15日 (土)     ランチ

最近、外食が増えた。
今日は毎月通っているレストランに出かけた。
初めて行ったのが大震災の日であったから、3年目になる。
延べで40回弱通っていると思う。

いつもなら一番地味なコースの料理のみを食べるのであるが、今日は気が緩んで、シャンパンを頼み、料理もワンランク上のものを注文し、デザートの前にチーズと赤ワインを楽しんだ。
ほぼディナーに近いものとなった。

時間も3時間滞在した。
それなりにお金はかかったが、休日に遊びに行ってもそのくらいは使ってしまう。
遠くに出かけなくてもよい時間を過ごすことができる。

3月14日 (金)    地震

未明の2時7分、地震があった。
寝ていたらガタガタと音がして地震とわかったが、それほど揺れたという感じがなかった。
乱雑に積み上げられている書類も崩れなかったし、食器も何一つ落ちたりしなかった。
すぐにテレビをつけたら、震度4ということであったから、結構大きな地震だったのだろう。

朝、交通機関が乱れ、JRは始発から運転見合わせということであったから、少しゆっくりしてバスで研究室に出むいた。
研究室にもまったく被害はなかった。

最近の建物は耐震対策がなされているが、自宅といい、研究室といい、耐震対策はありがたいし、大切であるなぁと思った。

3月13日 (木)    会議

会議のない日は土曜日と日曜日だけである。
今日も会議があった。
大きな会議でほとんど聞いているだけでよい会議であった。
くたびれと寝不足のせいか、頭がまったく回らず、ほとんど内容を理解することができなかった。
緊張感が欠落している。
いけない。

3月12日(水)    アメ横

先日東京に出張に行った際に、上野のアメ横に行ってみた。
10年ぶりくらいだろう。
ぶらぶら歩いているとあちこちから「大トロ1000円!!」とか「3つで1000円!!」などと威勢のよい声がかかる。
昔と同じ雰囲気である。
前から気になっていたものの1つに、チョコレートのたたき売りがある。
3つで1000円!もうひとつおまけ!さらにこれも!これもつけちゃえ!といったようなノリで、なんだか得をするのではないかと思ってくる。
チョコレートのたたき売りは昔はおじさんがやっていたのだが、今回はお兄ちゃんがやっていた。
代替わりしたのだろう。
昔のおじちゃんに比べるとまだまだ未熟である。
それでも若い女の子が次々とその話術に乗っかって買っていた。

しばらく歩いていたら、ナッツのたたき売りをやっていた。
チョコレートと同じやりかたである。
最初は3つで1000円!と言っていたのがどんどん増えて、最後には6つ1000円になる。
おもしろがってみていたら、なんとなくほしくなってきた。
おじさんの手元をみると、たたき売りの商品と同じものが一袋500円で売られている。
500円が6つだったら3000円だから1000円は安い。
かなりせこい。

雰囲気を楽しんだと思って1000円分買うことにした。
そうしたらもう一つつけてくれて、結局7つになった。
これはお得だと大満足した。

うきうきして家に帰り、買ってきたナッツを見てみると、いろんなトリックに気がついた。
まずは、量が少ない。
1つ500円で売られていたモノは袋がパンパンになるほど入っていたが、手元にあるのはすかすかだった。
「千葉県産落花生」と書かれていたと思った落花生は「千葉県特産落花生」と書いてあった。
どこにも「千葉県で穫れたもの」とは書いてない。
落花生は千葉県の「特産」であるということを訴求しているのみである。
生産地はわからない。

本当に商売がうまいなぁと感心した。
なんとなく騙されたような気がしないでもなかったが、7つの袋を全部足すとかなりのボリュームがあり、一袋あたり150円程度だったら、安いとは言えないまでもぼったくられたような気はしない。
まぁ雰囲気を楽しんだことが一番だろう。
アメ横に行ってきたという楽しい思い出がこのナッツにつまっている。

3月11日 (火)    3月11日

今日3月11日は、これまでの私の人生にとってとても印象深い日である。

まず、長男が生まれた日である。
初めて子どもをもった日で、月曜日であった。
子どもが生まれたといっても、親になったという実感がなく、今から考えてみるとまだまだ未熟だった。
あれから29年経って、長男が社会人として真面目に仕事をしている姿を見るのが本当にうれしい。
親としてこれといって大したこともできなかったが、きちんと成長してくれたことに改めて感謝している。

次に、これはおそらく私に限ったことではないと思うが、3年前の大震災。
昼間食事に行ってきて、列車で大分大学前駅を降りて、研究室に向かって歩いているときに発生した。
大学に到着してから翌日の入試の準備をしたが、準備を終えて研究室に戻ってみると、ラジオがただならぬ状況を伝えていた。

だんだんどうでもよくなっていくが、横綱白鵬の誕生日。
長男とまったく年月日が同じである。
なので贔屓にしている。
白鵬の人生と同じ時間を長男が過ごしていると思うと、長男の成長と同じように白鵬も育ってきたと思うと、とても親近感を覚える。

最後に、今や毎月のお楽しみとなったランチのレストランに初めて行った日。
この日は連れ合いがまだ前の仕事をしていて、たまたま休日だったので、早朝から耶馬溪方面にドライブに行き、昼の食事をどこで食べようかということになったとき、このレストランを思い出して早速予約をして、急いで大分市内に戻ってきた。
ランチがあまりにおいしくて感激して、毎月1回楽しんでいる。
年に1回ディナーを楽しんでいる。

今年の3月11日は普通の一日。
久しぶりに職場でプレゼンをやって、気疲れした。
明日は入試。面接試験をやる。
受験生が緊張する気持ちがわかる。

3月10日(月)    文部科学省意見交換

文部科学省に出向いて、今後の大分大学の在り方について意見交換の席に出席した。
学長始め、大分大学の蒼々たる幹部が並ぶ中で隅の方に座って結局何も発言しないで聞くだけで終わってしまった。
文部科学省に意見交換に行くのは二度目。
まだまだ緊張するだけで終わってしまう。

3月9日 (日)    東京

明日、文部科学省で意見交換会があるので、前日である今日、東京入りした。
明日朝で向いても間に合うのであるが、何が起こるかわからないから、前日に東京に入っておく方が確実である。

東京に出張するときのホテルは少しレベルの高いところを選ぶ。
パックツァーだから、それほど値段が高くなるわけではない。

今回も何度も宿泊しているところを選んだ。
チェックインの15時を待てずに入った。
部屋に入るや否や、のんびりして日頃できない考え事や課題の整理などをして過ごした。
よく作家などがホテルにこもって原稿を書くというが、少しだけ気持ちがわかる。
ゆったちしたスペースで、何物にも何ごとにも邪魔をされず、リラックスした雰囲気の下では仕事も捗るし、疲れもとれる。
ベッドでゆっくり眠るというのも楽しみの1つである。
楽しみと言えば安易な言い方であるが、ゆっくり眠ることによって日頃の身体の疲れを取ることができ、これは明日へのエネルギーになる。

3月8日 (土)     ランチ

ランチは月に1度、お気に入りの決まったお店で というポリシーで過ごしてきた。
ところが先週下の子が帰ってきたときに街でお昼ごはん食べようということになったとき、特に何が食べたいというあてがないから、とりあえず街に出かけていってどっか気に入ったところに入ろうという話になった。
久し振りに昼の街に出てみると、あちこちに魅力的なランチがある。
お金に糸目をつけなければどこでもよいと思うほど魅力的なものが揃っていたが、少しでもコストパーフォーマンスが高いものがよいと考えて相当さまよった。
貧乏人の性である。
最初、知り合いがカレー屋をオープンすると言うことを聞いていたので、先週はまずそこに行ってみたのだが、まだグランドオープンの前であった。
先週は結局韓国料理のランチに落ち着いたのであるが、先週さまよう中で、他にも魅力的なお店があったので、今日はそこに行ってみた。
和食のランチで、ちまちましたものがいっぱい出てきて満足した。

夜は夜でどうしようかと思い、そういえばそのカレー屋さんに行かなければと思い、夜はカレーを食べた。
自宅にいながら、だれかが遊びに来て一緒に食事をしようという話にもならないのに、一日2回も外食するというのは極めて珍しい。

けれども時にはよいかと思ったりもした。
けれども2食に使ったお金を考えると少々もったいない気もした。
外食をすると、ごはんの支度や後片付けをしなくてもよいから時間の節約になるというが、出かけていって、食事が出てくるのを待って、食べて帰ってくると結構時間がかかり、家で自分で作った方が早いときもある。

やはりランチは当分はどこかに出かけたときと月に一度のお決まりのお店でよいかと思ったりする。

3月7日 (金)    くたびれた一週間

ようやく今週も一週間が終わった。
月曜日にちょっと体調が悪くなり、そのままずるずると金曜日になった。
今週も打ち合わせが多く、時間的には大したことはなかったものの、かなり気疲れした。
改めて手帳を見てみたら、時間的に大したことはないというわけでもなかった。
夜に送別会がたくさんあった。
夜に会議もあった。

今日はくたびれた。
なんやかんや言って、結局帰宅の時間も遅くなり、夕ごはんの支度をする力はなく、お菓子がお腹を満たした。

昨夜上の子から電話があって、明日(すなわち今日)、送別会があって遅くなり、家に帰れないので泊めてほしいとのことであった。
せっかく来るのだから、起きて待っていようと思ったのであるが、待ちきれずに眠ってしまった。

3月ってこんなに忙しい月だったかなぁと思い起こしてみると、昨年の3月も忙しかったような気がする。
さらにその前の年の3月も忙しく、なぜかと考えると、仕事の内容の変化がひとつあるように思った。

仕事の量も増えた。
仕事が忙しくなれば忙しくなるほど、よりより一層遊びたくなるようで、昨年はめちゃめちゃ遊んだ。
今年は遊ぶ時間がないのに忙しい。
忙しいと思ってるだけで、本当はヒマなんだろうと思う。

3月6日 (木)    一冊の手帳

スケジュール管理、お金の管理はシステム手帳でやっている。
携帯端末が便利になって、手帳を持ち歩かなくてもまったく差し支えない世の中になったが、未だにアナログである。

大分大学で仕事を始めるときに、写真に写っている前職場の3人の仲間が餞別としてくれたものである。
「大学で使うから丈夫で少し高級なもの」というコンセプトで選んでくれた。
今も毎日離さない私の有能な秘書である。

角が擦り切れてきた。
金具も弱ってきた。
最初のページを見ると、プロフィールが書かれている。
住所は大分で最初の家となった大学の構内宿舎。
その裏面のカレンダーは1988年。
祝日は今より少なく、日にちできちっと決まっている。

26年経った。
四半世紀を超えた。
改めて大分での時間の長さを感じる。

これまで過ごしてきた時間とこれから残された時間を考えて見ると、残された時間が少ないことに改めて気づく。
この手帳が元気である限り仕事をしたいなぁと思う。
逆にこの手帳が壊れたらそのときは仕事の引き時かもしれないなぁと思ったりもする。

3月5日(水)    1枚の写真

研究室のデスクの前に1枚の写真が置かれている。
写真を置く人はけっこういるようで、パソコンの壁紙にも写真を使っている人がいる。
たいてい自分にとって大切な「人」が置いてある場合が多い。
特に子どもの写真をおいている人が多いように思う。
家族のことを思うことで仕事のモチベーションが上がればそれでよい。

私の写真はというと・・・。
前職を辞める直前に親しい仲間と4人で写っている写真である。
26年前のものだからみんな若い。
自らの姿も若い。
みんなの表情はにこやかに笑っている中に、一抹の別れの寂しさが漂っていて、我ながらみんなよい顔をしている。

この写真を飾ってある理由は何かというと、
1.前職を辞めて大分大学にやってきた初心を思い出すこと。
2.若い頃、仕事も遊びも楽しくて、毎日が充実していた人生を思い出して、心が後ろ向きにならないようにすること。
3.企業マインドを理解した共同研究を行う気持ちを忘れないこと。
4.いつかまたこの4人が集まることができるまで健康に留意すること。

これまで何万枚という写真を撮ってきただろうと思うが、いつも目の前に置いておきたいと思える写真はなかなかない。
選ばれた一枚の写真を見る度に、心を白くしてがんばって仕事をしようと思う。

3月4日 (火)    網棚

列車の座席の上に網棚がある。
荷物を置くことができるようになっている。
今の列車の網棚はステンレスでできていて頑丈であるが、昔は本当に繊維の網で作った網棚であった。

列車が混んでいるときに持っている荷物を網棚に載せると空間ができてよい。
しかし最近は問題が生じた。

網棚の上に荷物を持ち上げることができない。
たいていの場合、小さな軽い荷物は膝の上に置くか、立っているときには手に持っていてもそれほど邪魔にならない。
大きな重い荷物は網棚の上 ということになるのであるが、最近は筋肉の力が落ちたのだろう。
荷物を網棚の上に置くことができないし、ようやくの思いで載せたとしても今度はそれを引きずり下ろすときにうまく下ろせない。
座っている人の頭を直撃するのではないかと心配になる。

加齢とともに機能が低下する。
これまで何とも思わなかったことも意外なところで困ったりする。

3月3日 (月)    ダウン

一昨日あたりから、喉が痛み、身体が重かった。
昨日からは咳も出て、これは風邪を食らったなと思った。

今朝は起きたときから身体が重く、咳も止まらず、これは調子悪いと思いながらいつものように研究室にやってきた。
研究室にやってきたらさらに調子が悪くなって、まったく仕事にならない。
午前中少し仕事をしたが、これ以上研究室にいても仕事は捗らないし、体調も悪くなる一方だと思い、幸いにも午後からは特に決められた予定がなかったので、最低限やることをやって昼前に病院に直行し、風邪薬を処方してもらい、午後から床についた。

風邪をひくのは3年半ぶりである。
よくもまぁこの期間、丈夫にやってきたものである。
気が張っていたからだろう。
今回、ちょっと風邪をひいたら、気も緩んでしまい、仕事が重く感じるようになってしまった。
少しペースを落とすことも考えないと長く続かない。

3月2日 (日)    NHK交響楽団演奏会 in 大分

年に一度、NHK交響楽団が九州公演にやってきて、そのうち一度は大分で演奏会を行う。
毎年これが楽しみである。
早くからチケットを購入して今日のこの日を待ちわびていた。

今回はおまけ付きである。
それは、昨日、いいちこジュニアオーケストラの演奏会があり、その中でN響とのジョイントコンサート、N響によるコンサートがあった。
昨日のステージ、ジュニアが1人1人N響メンバーの横に座って演奏している姿は感動ものであった。
コンサートの最後にコンサートマスターの篠崎史紀さんが「若い人のパワーをもらって明日は気合いがはいる」みたいなことをおっしゃっていたが、今日のコンサートはまさに気合いが入っていて、最近聴いた演奏の中で屈指のものであった。

サン・サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番は、諏訪内晶子さんのソロで演奏された。
この曲は初めて聴いた。
曲自体はあまり楽しめるものではなかったが、諏訪内さんのヴァイオリンの音色がとても美しく、感銘を受けた。
よい演奏になったのであろう。N響奏者も惜しみない賛辞を送っていた。

最後のチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」がよかった。
一糸乱れぬバランス、フォルテの大迫力、ピアニッシモの繊細な響き、心地よいテンポ。
辛口の批評家に言わせると、「芝居がかっている」と評されるかもしれないが、私にとっては「魂を揺さぶられた」名演奏であった。

これまで「悲愴」を聴いて思っていたことは、喜怒哀楽が激しい支離滅裂な曲だなぁと思っていたが、今日生演奏で聴いてみると、日頃の自分の心の内がさらけ出されたような気がした。
確かに喜怒哀楽が激しく、支離滅裂であるが、これは自分の心に通じるものがあると感じた。
大作曲家の名曲を自分の心に結びつけるのはたいへんおこがましいが、逆に人生はこうやって喜怒哀楽があり、支離滅裂で、それを表に出して周りに迷惑をかけるのが我が人生だなぁと感じた。

3月1日 (土)    「忙しい」が意味するところ

久し振りの更新である。
この一ヶ月半の間、まったく余裕がなかった。
余裕がなかった という表現は間違っているかもしれない。
日記を書くことについての優先順位が下がってしまっていたということである。
よく「忙しいからできない」と口に出してしまうが、一日は24時間あるわけで、その限られた時間の中で何から手をつけるか、どこまでやるか といったことについては、その人の価値観に大きく依存していると思う。
その人が価値が高いと思う順番に一日24時間を使っていくから、当然優先順位がつくわけで、優先順位が低いものはときとしてその日に実行されることなく終わる。
「忙しいから」といって断られることは、「あなたが私に頼んでいることは私にとっては優先順位が低いのです」ということを言われているのである。
なので、自分自身としては、他人から頼まれた仕事に対しては、できるだけ「やります」と言って、受けてしまうのであるが、時として相手の期待通りにできないことがある。
優先順位に同じ番号はつかないのである。
だからどこかで区切られる。
区切りの下のレベルの案件は実行されなくなる。
こういうことが積み重なると信用をなくす。
他人がかかわらず、自分だけで解決できる問題は優先順位を下げている。