12月9日 (日)    余裕

最近時間に少し余裕があるような気がしている。
と書いたのは、下記にあるように11月14日。
それ以来全く更新できなかった。

最近まったく余裕がないような気がしている。
手帳を見返してみると、確かに11月14日までは空間がある。
しかし15日以降はぎっしりと埋まっていて、確かに余裕がない。
どんなことをやってきたか思い出してみると、確かに毎日忙しかった。

その割りには物事が進んでいない気がする。
おそらく目の前のことをやっつけるだけで精一杯の毎日を送っていたのだと思う。

そんなことでは全くおもしろくない。
少しでも何かが進まないと景色も変わらない

今日、福岡で大分大学主催「同窓生との交流会2013」が開催されたので参加した。
思いもかけず、ゼミの卒業生に会うことができた。
活躍している様子を聴いて頼もしく思った。

今日は仕事なのか、仕事ではないのかよくわからない一日であった。
交流会報告会では、報告を聞いているだけだったし(+紹介されたときに立ち上がって頭を下げた)、懇親会ではその卒業生とずっとしゃべって食べ物を食べていた。

休日だし、福岡だし、仕事か仕事じゃないかわからない一日もよいかなと思いつつ、往復の車中で姿勢が悪かったせいか、背中から腰が張ってつらい。

11月14日 (木)    しばしの余裕

最近時間に余裕があるような気がしている。
少し前までは、研究室で次から次へと仕事に追われ、会議に追われ、家に帰れば家事に追われ といった具合に、とりあえず目の前の課題を片付けることで毎日が終わっていた。
しかし、ここ最近、ふっと時間が空くことがある。
休日の出張もほとんどないので、休日は比較的ゆっくりできる。

そんなわけで、会う人に「ヒマでヒマで」と言うと、「そんなはずはないでしょう」と言った反応をされる。
しかし本当にヒマなんだと思われている気もする。
いかにも仕事をさぼっているように誤解されては困る。仕事はそれなりにやっているつもりである。

ではなぜ「ヒマ感」があるのかと分析してみると、いろいろな理由が挙げられる。
ひとつは、余裕のある時間ができたときに何をやってよいかがわからないから「ヒマ」を感じる。
仕事と食事の支度以外のことをしない生活を続けていたら、それ以外のことに目を向けられなくなってしまった。

次に、自分で言うのはおこがましいが、仕事のスピードがアップしたように思う。
文章をまとめる速度は数倍速くなったと思う。
決断するための時間も短くなった。

なので、仕事の量は変わらなくても時間に余裕があることになる。
もっとも最近はスピードアップした仕事時間の中で突っ走っていたから、やっぱり仕事を十分にやっていないのかもしれない。

だが、余裕のあるときにぼやんとすることは大切であると思う。
これまでの疲労を一掃し、次の仕事へのエネルギーを蓄えることができる。
エネルギーを蓄えることができる時に蓄えておかないと、ここぞというときに力を発揮できない。

余裕の毎日も明日まで。
週明けの手帳はぎっしりである。

11月13日(水)    生活習慣のチェンジ

どうにも睡眠不足がつらくなってきたので、毎朝30分寝坊して朝は5時に起きることにした。
しかし6時には家を出たい。
今まで4時30分に起きていたから、朝30分の手抜きをしなければならない。

どうやってこの30分を捻出しようかと考えて、朝食を食べないことを試している。
これまで5時30分から朝食を食べて、それを片付けて家を出ると6時だったから、朝食を食べなければ30分捻出できる。

しかし朝食を食べないのは身体によくないし、つらいので、いつかどこかで何らかの形で食べることを考えた。
その結果、研究室で朝のメールチェックをしながら朝食を食べることを思いついた。

メールを打ちながらということになると、これまでのようにごはんと味噌汁と野菜サラダとおかず という献立が組めない。
簡単なサンドウィッチなどがふさわしい。

簡単なサンドウィッチであれば朝10分あればできる。
研究室にやってきてメールをチェックするのが7時少し前。
朝食の時間帯としても適切である。

睡眠時間を増やし、家事仕事を減らし、食事を適切な時間に移行できるなど、けっこう調子がよい。
一つ難点を挙げるとすれば、野菜の摂取量が減っていることである。
これは夕食で補うようにすればよいのではないかと思う。

時間がない毎日と思っていたが、まだまだ工夫する余地はいっぱいあるような気がする。

11月12日 (火)    コレクション

コレクションはモノを集め、ときどきそれを眺めては楽しむといったものであろう。
しかし私にとってのコレクションは単にモノを集めるのではなく、そのモノを見ることによって、そのモノを手に入れたときのことを思い出すことが楽しみなのである。
写真を見て思い出に浸るのと似ているのかもしれない。

たとえば、あるジーンズを見たとき、それをどこでいくらでどのように買ったかを思い出すことができ、それを思い出すと、そのときの生活の様子や自分の様子などを思い出す。
ジーンズを集めているときには、集めることに夢中で、その他のことは何も見えなかったが、今になってジーンズを通して自分の人生を見ることができる。

そういう気持ちに陥るのでつまらないモノを捨てることができない。
お菓子の箱とか、包装紙とか。
あとで何かの役に立つかもしれないと思って捨てられないという話はよくあるが、私の場合には、箱なり紙なりを見るとそのときのことを思い出すことができるので捨てられなくなる。
逆に言うと、そのモノをみても何も思い出さなくなったら、そのモノを捨てることができる。

11月11日 (月)    焼酎とジーンズ

子どもの頃からいろいろなものを集めるのが好きで、切手収集に熱を上げていたのは中学生の頃。
その後はレコード集めにお小遣いを費やしていた。
大学生の頃は遊ぶのに忙しく、コレクションから離れていた。
就職してからは、気まぐれでときどき切手を眺めたりしていたが、コレクションの趣味は少し下火になって、鉄道に乗ることにエネルギーが注がれた。
これもコレクションと言えないことはない。
というのは、○○線に乗ったということを積み重ねていくと、コレクションになる。
このコレクションはたいそうお金がかかるが、場所を取らない。

20年前頃からジーンズの魅力にとりつかれ、以来ジーンズを集めるようになった。
あまりに大量のジーンズを集めたために、以前住んでいた家の押入の床が抜けてしまったのでかなりの量のジーンズを処分したが、その後も収集は衰えず、今では部屋のかなりのスペースを侵略するまでに至った。
10年前頃から焼酎にはまった。
焼酎は飲んで楽しむものであるが、珍しいものが手に入ると、栓を開けることができず、コレクションとなる。
これが溜まりに溜まって部屋を侵略することになり、何とかしなければならないと思うようになった。

ジーンズと焼酎。
捨てるには忍びないが、邪魔でもある。
そこで思いついたのがトランクルーム。
トランクルームに預けておけば、家のスペースは広くなるし、コレクションを処分しなくて済む。
いくらかの保管料が必要であるが、趣味の範囲と考えれば理屈はつく。

ということで、焼酎とジーンズを箱に入れてトランクルームに預けた。
そうしたら部屋はすっきりした。
目の前から焼酎とジーンズが消えてしまったが、それほどの抵抗もない。
正しい選択であったと考えることもできる。

しかし、根本的な問題は解決していない。

そもそも焼酎は集めるものではなく飲むものである。
ジーンズは集めるものではなく、穿くものである。

そういう生活に必要なものをコレクションとするのはいかがなものか。
コレクションとは、あってもなくてもどうでもよいもの、実用的ではないものを集めることがその神髄ではないのか。
飲まない焼酎、穿かないジーンズのどこに価値があるのか。

悩ましいところである。

11月10日 (日)    鶏足

日田にはたびたび行っており、それなりにおいしいものを見つけていたつもりであったが、今回初めてみつけたものがあった。
豚足ならぬ鶏足である。

というように書いたから、様子は想像できるが、要は鶏の足のモモの下の部分である。
地に着いている指の部分もあるから、見た目は非常に生々しい。
見かけで判断すると、口にすることを躊躇する人がいるかもしれない。

しかしこれがたいそう美味で、むしゃぶるように食べると、ジューシーなお肉に、たっぷりのコラーゲンが口にまとわりつき、手が汚れるのも口が汚れるのも忘れてひたすらしゃぶる。

豚足や鶏足というのはこれまで敬遠していたが、韓国に行って豚足料理があまりに美味しくて、はまってしまった。
鶏足についても、爪の部分をコチュジャンで炒めた料理を食べたことがあったので、これも抵抗がなかった。

そういえば最近、魚もアラばかり買ってきて、中落ちにくっついている身をしゃぶるように食べている。
これが美味しい。

11月9日 (土)    千年明かり

日田で千年明かりが開催された。
川にろうそくをつけた明かりは幻想的である。

昨年より、川田先生を中心に、2年生を中心に出かけている。
今年も参加することになり、私も少しは何かの役に立つだろうかと思い、一緒に参加した。

幸い天気に恵まれ、ろうそくへの点灯がスムーズにいったおかげで、自由時間を多くもつことができた。
この日は食についても充実しているので、それもお楽しみである。
昨年に引き続き、日田焼きそばを楽しんできた。

今年はもう一つ日田に行くのには大きな意味があった。
それは先の合宿で民泊でお世話になった方々へのお礼である。

みなさんお忙しい中、運良くすべての方にお礼をすることができ、合宿もまた一段落ついた。
あとは報告書をまとめたら完了である。

11月8日 (金)    食事の支度

朝早く起きて朝食をつくり、しっかり食べて出勤する。
昼は作り置きしておいた常備菜を使い回しした手作り弁当をもってくる。
そして夜はどんなに遅く帰ろうとも、ほぼ必ずキッチンに立って何かつくり、翌日の弁当の用意をする。

家にいる時間のうち、かなり多くの時間を食べることというか食べるものの準備と片付けに費やしている。
それは一つの息抜きであり、楽しみであった。

しかし、食事の支度をするためには立っていなければならないし、眠ることはできない。
なので、身体が疲れないと言えばウソになる。

最近身体が疲れて、食事に関わることもしんどくなってきた。
昨日今日は朝食を作ることより、寝坊を選択した。
夕食も手抜き。

このように楽をし始めると易きに流れる。
栄養面からはよろしくない。

今まで楽しみだったことが楽しめなくなってきたということは、精神面でも青信号から黄信号に変わる前触れでもある。
まだ黄信号にはなっていないが・・・。

11月7日 (木)    ほうれんそう

昨夜、お弁当に入れるためにホウレンソウをゆでようと思って冷蔵庫から取りだしたら、葉っぱがやたら虫に食われていて、よく見ると虫の糞がたくさんついていた。
よく調べてみたら、根元に幼虫が2匹いた。
そのときはギョッとしたが、落ち着いて考えたら、虫がいるということは少なくともその部分に殺虫剤はないだろうから、その面では安心した。
流通商品としての野菜を作るためには農薬が必要であり、その農薬は安全であることが示されていることは理解しているが、やはりなんとなく農薬は「不安」である。
虫がいることで「安心」したが、だからといって「安全」かどうかはわからない。
農薬以外にも安全を脅かす物質はいくらでもある。
知識を得ることによって「安全」かそうでないかはある程度見当がつく。
しかし、知らないところで「安全」ではないことが起こっているかもしれない。
そうすると、「安心」かどうかが大きなポイントとなる。
「安心」は主観的なものであるから、ある人が「安心」と言っても別の人は「安全ではない」と言うかもしれない。
どこで線引きをするかは人によって違うだろうし、その違いはその人その人の生き方に基づくものであろう。
自らの考えでそういう線引きができる人材を育てることは教育の中でも重要なことの1つであると思う。

11月6日(水)    不整脈

2週間ほど前から、期外収縮が起こる。
命に別状はないと言われているが、脈が飛ぶので一瞬気持ちが悪い。
睡眠不足とストレスが主要な原因であることを知っているし、非常に思い当たるから、睡眠をきちんと取って、ストレスをうまくかわせばよいのである。
それでも心配だったから、早めに研究室を出て、行きつけの診療所に行って、心電図を取ってもらった。
「出ませんね」と看護師が言ったが、心電図を取っているときに出るというのは相当悪い状態であるので、そんなにうまく出てくれるわけがない。
心電図に異常はなかったのでひとまず安心。

それとは別に、最近胃の具合もすぐれないので、胃カメラで検査してもらえるように紹介状を書いてもらった。
胃の調子が悪いのはストレスが主要な要因である。
酒の飲み過ぎにも心当たりがあるが、なぜ飲み過ぎるほど酒を飲むかというとそこには原因がある。
そうやって原因をつきとめていくと、根っこはひとつである。

しかし生きている以上、その根っこをほじくり出すわけにはいかない。
根っこを掘り出したら生きることを否定することにもなる。

というわけで、時間に余裕があるときには少しのんびりしようと思う。
今日は診療所に行くことで早めの帰宅ができた。

11月5日 (火)    講義と会議

今日は講義、打ち合わせ、講義、打ち合わせ で一日終わった。
早朝、講義が始まる前の時間にメールチェックや資料の準備をしたら、あとは時間というレールに乗っかるだけの一日であった。
最後の打ち合わせが終わった後にやろうかなぁと思ったことはあったが、気乗りがしなかったので早々に切り上げた。
家に帰ってやりたいことはあったが、前日の睡眠不足がたたって何もできずに寝てしまった。

11月4日 (月)    うどん

久しぶりに子どもたちが揃った。
久しぶりにうどんを食べにいった。
相変わらずの美味であった。
それぞれが注文するうどんは、メニューにプラスアルファがある。
例えば下の子は肉うどんを大盛りにしてもらって天ぷらをのせてもらう。最初から用意されているメニューではない。
私はかけうどんにネギの大盛りにしてもらう。「ネギの大盛りできます」とはどこにも書かれていない。
おろしうどんを注文して、卵を抜いてもらうことがある。生卵は苦手だから、加熱して入れてくれとオーダーすることがある。

もうめちゃくちゃな話である。
けれどもお店はそういったわがままな客の注文を快く引き受けてくれる。
おいしいし安い。
25年来通っているうどん屋さんである。

11月3日 (日)    福岡

連休二日目、出かけようと思っていた。
選択肢は二つあり、一つは別府で開催されている「食の大宴会」。
ニュースでも取りあげられていて、楽しそうであった。
もう一つは福岡でのGT。
朝まで迷っていたが、雨模様だったので、雨の中食事もたいへんだと思って福岡に行くことにした。
下の子と待ち合わせて二人で行った。
GTを見るのはもちろん楽しいが、レースとレースとの間に下の子と話ができるのが何よりの楽しみである。
彼と話をするためにGTに行ったようなものである。
社会人4年目の彼はよい仕事をしていると思う。親バカな目線かもしれないが。

明日も休みだということだったので、早々に福岡を発って、一緒に大分に帰ってきた。
大分に帰ってからは、昼のGTの話題で盛り上がった。

11月2日 (土)    ストリートミュージシャン

夜になると、地下道やアーケードで若い人たちがギターをかき鳴らしたり、唄を歌っている。
いわゆるストリートミュージシャンと呼ばれるひとである。
こういう活動からデビューする人もいて、それなりに実力がある人もいるのであろうが、私はこのジャンルの音楽があまり好きではないので、いつも気に留めずにアーケードを歩く。
今日、21時過ぎにアーケードを歩いていたら、弦楽器の音色が聞こえてきた。
なんとカルテットのストリートミュージシャンの出現である。
私はこのジャンルは好きだから、思わず立ち止まってしばらく聞き入っていた。
よい音を出しているし、4人の息もぴったりである。
そして、馴染みの曲を奏でてくれたので、飽きることなく1時間ほど聞いていた。
クラシックの曲の中にも、曲の途中で合いの手を入れることができることがある。
ルロイアンダーソン「タイプライター」という曲が演奏された。
この曲は曲の途中にタイプライターの「チン」という音が入るので、そのタイミングで手を叩いて合いの手を入れた。
そうしたら演奏家の方もそれをわかってくれたみたいで、こっちもなんとなくうれしかった。
チェロの男の子が、乗ってきた自転車に腰掛けてチェロを弾いている姿がなんとも若者らしく、素敵であった。
ビオラの女の子の笑顔がまた素敵で、ヴァイオリンの女の子はよい音を出していた。
定期的に出没するのであればまた聴きたいなぁと思って、今度いつ来るかと尋ねたら、今日はたまたま集まっただけで今後の予定はないとのこと。
ちょっと残念であったが、是非また演奏を聴きたいと思う。

11月1日 (金)    もう11月

今年もあと2ヶ月になった。
はやいものである。
などという話はテレビでもラジオでも職場でも聞かれる台詞である。
11月は高校生の頃から鬼門の月である。
体調を崩す。
高校1年生の時には風邪をこじらせて半月休んだ。
そのときには進級できないかもしれないから休むなと警告を受けた。

季節的に疲れが出る時期なのであろう。
今月はそれほど忙しくはなさそうだが、週末、土日に出かける予定が多く、それがちょっとつらい。