4月18日 (木)   どんなに忙しくても譲れないこと

結局食べることになってしまうのであるが、食事をしているときには面会しない。
電話もとらない。
お弁当を食べていると、ときどき学生が話しかけてくることがあるが、食べ終わるまで待ってもらう。

とてもわがままであると思う。
しかし、日常生活の中で、食事をするという時間は生きるために大切なことであり、また楽しみのひとつである。
そういう機会もこれからの人生の中ではそんなに多くなかろう。

そう思うと食生活指針の1.にもあるように「食事を楽しみましょう」というのがとても大切なような気がして、それを理解してもらうために、学生には講義の中で折に触れて食事の大切さを説いている。

4月17日(水)    不快な靴音

身体や心が疲れると、些細なことが気になったり、些細なことに腹を立てたりする。
最近の人はキレやすいというが、身体や心が疲れているのではないかと思う。
余裕がないということにもつながる。

昨日は出張帰りの翌日で、朝から疲れていた。
些細なことが気になった。

ときどき、私の出勤と同じくらいの時間帯に、大きな荷物を背負って仕事に出向こうかという女性がいる。
ときどき遭遇する。
年の頃は40歳代〜50歳代くらいと想像される。
小柄な体つきである。

疲れていると、この女性がストレスになる。
朝の爽やかな気分が一度に吹き飛ぶほどの強烈な刺激である。

その刺激は靴音である。
かかとの硬い靴を履いているのであろう。
歩く度に、「バタン,バタン」というか、「カタン、カタン」というか、およそことばでは言い表せないような不快な音量、不快な周波数で攻めてくる。
あるときは、横断歩道を渡ったところで、すぐ私の後ろから「バタン、バタン」とやってきたので、逃げるように早足で距離を作った。
相当長く歩いても後ろから聞こえてきた。

耳障りで仕方がない。
いらつく。

なぜこんな靴で歩くのか?
靴音を立てることによって自分の存在をアピールしているのかもしれない。
自己主張の一つの方法なのかもしれぬ。

4月11日 (木)   仕事の神様

私は科学者の端くれであるし、宗教の面からも神様というのは存在しない。
しかしまったく矛盾するのであるが、「仕事の神様」という神様がいると思っている。

仕事の神様のおかげで仕事をさせていただくことができる。
仕事の神様の正体は仕事そのものかもしれない。

最近、仕事の神様がいたずらをしかけてくる。
次から次へと仕事の神様がやってくる。

ありがたいことである。感謝するばかりである。
しかしながら、さすがにすべての神様の思し召しに応えられるかどうか不安な状況になってきた。

授業が始まったら、身体的、心理的なキャパシティーがとても狭くなった。
その狭くなったキャパシティーの中で仕事の神様がぎゅうぎゅう詰めになっている。

今にぎゅうぎゅう詰めの中で仕事の神様が喧嘩をして、私の外へ出て行ってしますのではないかと不安になる。
申し訳ないけれど、新規な仕事の神様には少しだけお待ち下さいね。 と声をかけるようにしている。

4月10日(水)    教授会

教授会があった。
役職がなくなったので、これまで前に出て教授会を眺めていたのが、もとの長机に戻った。
久しぶりに見る景色は新鮮であり、かつ安寧な場所であった。

思い起こしてみると、教授会をピークに徐々に緊張感が盛り上がっていき、教授会で最高潮に達し、教授会が終わると一気に気がゆるみ、思いきりはじける週末があった。
その週末はとても楽しいものであった。
教授会までがんばったご褒美のようであった。

残念なことに今週末はご褒美がない。
ちょっとだけ寂しい。

今はいつご褒美がもらえるかわからないほど次から次へと課題が押し寄せてきて、その場その場での対応で何とか切り抜けている状況である。

こうなったら開き直って、まずご褒美をもらってから仕事をしようかなどという不埒なことを考えている。

4月9日 (火)    久しぶりに

2ヶ月間、日記の更新をしなかった。
本当に忙しくてというか、つれづれに入れ込む心の余裕がない。
この2ヶ月の間、いろいろなことがあって、その都度書けばよかったのだが、書かないというクセがつくとそのままだらだらと流れてしまう。

あとになって、このことは残しておきたかったなぁと思うことがいっぱいあって、書かなかったことに悔いが残る。

なぜ今日突然思い立って再開したかというと、
用事があって、ある部署に出向いたら、職員さんが「先生の日記読んでいるんですよ」と声をかけてくださったのである。
ここにも読者が・・・・。

そうやって気に留めてくださっていることがとてもうれしい。
この日記は読み手がいるから、あるいは読み手を想定して書いているものではない。

しかしそういう何気ない会話がきっかけとなって復活したということである。

今日は講義二日目。
少し慣れた。あと14回講義をやったら終わる。

4月8日 (月)    講義の始まり

新入生は今日から講義。
26年生の私も今日から講義。
教室内での位置が異なる。

学生は机と椅子。
私は机と黒板。立っている。

最初の講義はなんとなく力が入るのであるが、今日は最初の日というのに4コマやった。
さすがにヘトヘトになった。

21時前に帰宅したから、まぁ少し早く帰ることができたことになる。

帰宅するや否や、猛スピードで晩ごはんを作って食べた。
名古屋名物味噌煮込みうどん。
冷蔵庫、冷凍庫に鶏肉、かまぼこ、油揚、ネギがあることを知っていたからおいしいものができて満足をした。
ほうれんそうも入れた。

そのほうれんそうは明日のお弁当を彩るというミッションもあった。

で、そのほうれんそうをお弁当箱に入れて、とりあえず歯を磨いてから続きを作りましょうと思って歯を磨いたら、そのあと全く意識がなく、翌日つまり9日朝4時20分に目覚めて台所を見たら愕然とした。

ほうれんそうがはいったお弁当箱がそのままの状態で放置されている。
炊くはずだったごはんもない。

夕食で食べたキビナゴの煮物は冷蔵庫ではなく、キッチンカウンターの上である。
白菜の漬け物も。

かろうじて味噌煮込みうどんのどんぶりと鍋のみが洗い上げられていた。
おそらくこの作業は家人が実行したものと推察される。

講義4コマの打撃は相当強烈であった。
久しぶりにカウンターパンチをくらったほどのダメージであった。

それにしても、残ったおかずを冷蔵庫に入れるくらいのことはやっていただいてよいのではないかと思う。
思うのではあるが、気が小さいのでそのことを口にできない。

2月10日 (日)    だらだらグータラ

三連休である。
しかし初日の昨日はそういうことで報告会に参加したから休養というわけにはいかなかった。
週明けには東京に行くことになっているので、日曜日と月曜日は大分へは帰らず、大阪と名古屋で過ごすことにした。

昨夜は少し早めに宿に入り、そのあとはお酒を飲んでおいしいものを食べ、見るとはなくテレビを見てだらだら過ごした。
眠くなって寝た。
今日は日頃の睡眠不足を解消するかのようにおそろしく寝坊をした。
起きたら8時であった。

朝ご飯を食べたらまた眠たくなって、再びごろごろと過ごした。
お昼になって、いつまでも宿にいるわけにもいかないから、名古屋に移動した。

久しぶりに親の顔を見に実家に寄った。
母親はショートステイに行っていたので会えなかったが、父親が食事を用意してくれて待っていた。
夕方というにはあまりに早い時間であったが、家に着くなり夕ごはんになった。
食べ終わってもまだ6時になっていなかった。

そのあと、父親といろいろと話をしていたら、眠たくなって、9時には寝床に入ってしまった。
いつもならまだ研究室にいる時間帯である。

大分にいてはだらだらグータラできない。
こうやってだらだらするのもよい気分転換になり、体調管理の一つの方法である。
疲れたら、大分から外へ出るというのも一つの方法である。

2月9日 (土)     大阪

先週は広島で会ったが、今週は大阪。
目的は先週の広島での報告会と同じような報告会の聴講である。
今はいろいろと情報が欲しいから、こうしてあちこち足を運ぶのに限る。

今回大阪に行こうと思ったもう一つの理由は、その報告会の総合司会が、昔大分大学で一緒に仕事をしていたN先生であり、今の私の役職と似たようなことをやっているようなので、その職務を円滑に進めていくためのコツなども伺いたいと思い、報告会の前に少し時間をとっていただいてお話を伺った。

お目にかかるのはおよそ20年ぶりくらいのことだからずいぶん久しぶりということになるが、20年も経てばお互いに容姿はそれなりになっているが、仕事の話になると、昔と変わらず相互理解をすることができる。
お話を伺って、N先生のマネジメント力の大きさに感服した。
学ぶところは非常に多く、しかし私にはそこまでの能力はないであろうことを実感した。

結論としてN先生からのメッセージは、
「体調管理」と「気分転換」。「仕事をしすぎてはいけない」
「体調管理」と「気分転換」は理解できたが、「仕事をしすぎてはいけない」ということがよく理解できなかった。

そこで詳しく尋ねてみた。

仕事をしすぎると疲れて判断力が鈍る。
仕事をしすぎると体調を崩す。

私はまだ「仕事をしすぎる」ほど仕事をしていない。
早く仕事を覚えて、適量の仕事量で毎日をすごしたいものだと思う。

2月8日 (金)     さすがにちょっときついなぁ

先週からかなり忙しい。
終列車やそれに近い列車で帰る毎日が続いている。
始発列車でやってくることは変わりがない。

その影響は睡眠不足という形になって現れている。
ちょっときつくなってきた。
頭が働かない。
なので、ゼミ生と卒論発表のことを打ち合わせたり実験のことを打ち合わせていても、ふとわけがわからなくなってしまい、迷惑をかけている。

ゼミ生には、「社会に出たらこういうわけのわからないおじさんを相手にしなければならないから、そのための勉強と思ってくれ」とわけのわからないことを言っている。
ゼミ生は非常に心優しく、「はい、わかりました!」と健気である。
確かに一部はゼミ生にとって勉強にならないことはないと思うが、問題は上の人に説明するときに発生する。
今日も学部長に報告をするとき、途中でわけがわからなくなって、うまく説明ができなくなってしまった。
これはいけない。
報告する方がわけがわからなくなったら、聞く方はもっとわけがわからない。
申し訳ない。

それもこれも睡眠不足が大きく関わっていると思う。
ではその睡眠不足をもたらす原因は何かと考えてみると、「仕事」である。
質のよい仕事をしようと思ったら、休養の時間を十分にとることが必要であると思う。
なので、きついなぁと思ったら何より休養することが大切なのである。

オーバーワーク気味の人をみつけると「無理するな」と言っているが、この言葉は上を向いて天に向かったつばを吐くというスタンスで言わなければならない。
まさに今の自分こそ無理をしてはいけない状況である。
無理をしたくはないが、そこで止めていては仕事が進まない。
やはりどこかで無理をしなければならない。
あるいは、どこかで手抜きをすることも一つの方法である。

手抜きをするというのは気にくわないから、無理を選択する。
身体が倒れるまで無理をしたら、迷惑をかけるし、無用な心配をかけてしまうので、そこまでの無理はしてはいけない。
どこまでがそこまでなのかわからない。
倒れてみて初めて「あぁ、ここまでやると無理なんだ」とわかるのであろう。

2月7日 (木)   大分かぼすフォーラム2013

という催し物があった。
講演を依頼されて、最近の研究成果を発表してきた。
長年にわたってカボスの生理作用の研究を行っているが、なかなかカボスならではといったデータが得られなくて心が沈みがちであったが、今日のフォーラムでいろいろな発表を聴いていたら、カボスもまんざらでもないなと思った。

私たちが長年にわたってやってきた研究も、まとめてみるとそれなりの価値があるように思った。
自己満足かもしれないけれど。

研究はある程度の継続性も重要である。
長くやっていれば、それなりに何かが出て、何かに役に立つような気がする。

今日は発表とパネルディスカッションの二つに登場したが、久しぶりにほとんど見も知らずの人と話すのは久しぶりであったので少々緊張した。
特にパネルディスカッションでは、コーディネータから話題をふられた瞬間に頭が真っ白になってしまって、何が何だかわからないような話をしてしまった。

今日の進行はアナウンサーのYKさん。
KYさんのほんわかとした癒やし系の語り口が大好きで、ずーっと密かに憧れていた。
なので、本人にお目にかかってお話をさせていただいたことで舞い上がったのかもしれぬ。
最初、このフォーラムへの参加のお話があったとき、進行がYKさんだったことが後押ししたことを白状する。

私にとっては、そんなことで、とても素敵な一時を過ごさせていただいたのであるが、このフォーラムに足を運んでくださったみなさんや、このフォーラムに招いてくださった主催者の方々にとって、私が役に立ったのかどうかは定かではない。
すみません。