2月9日 (木)〜2月29日 (水)    休業中


2月8日 (水)     超朝寝坊

こういう寝坊をしたという記憶がないほど私にとっては派手な寝坊をした。
他人の話としてはよく聞く寝坊である。

それは、目覚ましが鳴ってもそれに気がつかなかったということである。

なーんだ、そんなことか。という程度のものであるが、私にとっては、そういうヘマはしないというへんなプライドをもっていたからショックが大きい。

目覚めて目覚ましを見たら「3:53」とあるように見えたので、あと30分眠れるな と思ったものの、身体がなんとなく朝遅くなっていることを訴えたので、もう一度時計をよく見たら「5:53」であった。
びっくりして飛び起きて、テレビをつけたら、いつも家を出るときにやっている天気予報の画像が出ていた。

もうパニックに陥ってしまって、シャワーを浴びてお弁当をもってすぐに家を出た。
いつもより45分ほど遅く研究室に着いた。

しかし考えてみたら、何も朝早く来なければ仕事に差し支えが出るというわけでもなく、授業や会議に遅れるわけでもなく、裁量労働だから、定時出勤を義務づけられているわけではないから、いつもより遅く来ようと何の問題もない。
気持ちの問題だけである。

で、その気持ちの問題としては、「規則正しい生活が乱れる」ということに抵抗感をもつということである。
朝はきちんと同じ時刻に動きたい。
その方が毎日がすっきり過ごせる。

このパターンを崩すと、すべてが自堕落な生活になってしまうような気がする。

2月7日 (火)    会議

最近よく出る話題である。
昨日も出た。
毎月第2週の水曜日の教授会がある週は、その前の週から会議ラッシュである。

今週も月曜日の夜、今日の昼休み、明日の午後 と3連続である。
昨日の会議は遅くまでかかったので、くたびれた。
今日は昼休みだったので、短くしようと心がけた。
明日の会議も議題が盛りだくさんだから、きっと遅くなるだろう。

この教授会が終わると、ホッと一息つく。
はやく明日が終わらないかなぁとそんなことばかり思いながら、資料づくりの一日だった。

2月6日 (月)    おっそろしい月曜日

毎週月曜日は、何かと慌ただしい。
週明けで仕事が積もっている。
それに週末、ぼやんと過ごすから、ペースを取り戻すのに時間がかかる。

さらには、月曜日の夜に会議という日がよくある。
これがつらい。

今日も午後に会議、夜に会議。
午前中は会議の資料づくり。
会議の一日であった。

授業がないのが救いである。
しかし、授業をせずに会議のことばかり考えていると、本業が何かわからなくなってくる。

月曜日は帰宅時間が遅い。
月曜日が終わると、一週間の半分が終わったような気分になる。
月曜日がうまくいくと、その一週間はうまくいく。
月曜日につまずくと、その一週間は調子が出ない。
月曜日はおそろしい。

2月5日 (日)    食

最近の生活は「食」が中心である。
食べることに関わる時間が増えた。

平日にどんなに帰宅が遅くなっても、次の日のお弁当を作る。
作ると言っても、作り置きしたものをテキトーに詰めるだけであるが、これがけっこうその日のクールダウンになって、以外にストレス解消になる。

買い物も食料品が中心である。
いつも衝動買いをしている。
チラシを見て、特売品があればそれを求め、賞味期限が近づいて見切り品になったものに手を伸ばし、珍しいお酒を見つけたら、いつ飲むかもわからないのに買っている。
こうして何も考えることなく、場当たり的に買ってきたものを、いろいろ組み合わせて、何かしらの料理を作るのは楽しい。
レシピも何もみないでテキトーに作ったらどんなものができるかと、チャレンジするのも楽しい。
しかし、そういうのはたいてい失敗する。
たいていおいしくないものができる。

週末は買い物に出かける。
ついつい勢い余って買いすぎると、冷蔵庫の中に入らなくなって、さぁどうしようかと頭を悩ます。
そして、日曜日は早朝から、1週間分のお弁当を中心としたお総菜の調理に勤しむ。
そんな一日を過ごしているとあっという間に夜がやってくる。

日曜日の夜の食事は豪華である。
何せ、何も考えることなくいろいろな食材を買ってくるものだから、早く食べなくてはならないものから優先順位をつけていくので、日曜日の夕食は一番選択肢が広いのである。

仕事でも食について関わっているが、これはちょっと質が違う。
仕事の中でおいしいものを食べるというテーマはない。
おいしいものがなぜおいしいのかを調べることはときどきやっている。

食べることは楽しいが、度を超すと、身体の健康を害する。
何ごとも楽しいことはほどほどのところで我慢をしないといけないと思ったりもするが、残りの人生の時間はこれまで過ごしてきた時間より短いに決まっているから、快楽を優先するのもありかなと変な理屈をこねたりする。
こういうことを考える人は多いのではなかろうか。
だから生活習慣病の予防の啓蒙がうまくいかない理由はそのあたりにあるのではないかと思う。

2月4日 (土)    立春

昨日は節分。
豆をまいて、鬼を追い出して冬を終えて、、福を招いて今日から新しい春が始まる。
「今日から春」という区切りになる日はいくつかある。

まず、元日。
「新春」というが、気持ちは浮かれて春になるものの、まだまだそういう実感にはない。

旧正月。
韓国や中国ではこちらの方を大切にしているようであるが、私の毎日のくらしの中では実感がない。

ちょっと飛んで、4月1日はどうかというと、それは春というより、新年度。

「春」という季節感を感じるのは、やはり今日の立春が一番である。
毎日早起きをしていると、日に日に日の出が早くなるのがわかり、ちょうど今日あたりは、それを強く意識する。
とはいうものの、外はまだ寒く、特にこの数日間は恐ろしいほど寒い。
雪も降った。

しかし、これから5月の立夏までが自然と対峙したときに、もっとも「春」という季節を感じる。
ふきのとうが出始め、桜が咲き、筍が出てきて、新緑が美しくなる。
それが完成すると「夏」になる。

人間も自然の中の1つの生き物。
自然を愛でつつ、自然に対して素直に毎日をすごしていると、何かしら余裕を持つことができて、なんとなく人生が豊かになるような気がする。

2月3日 (金)    不思議の多い町

土曜日の坂、日曜日のポイントカード、水曜日の496円、昨日の3つ500円は、実はすべて長崎市で経験した話である。
土曜日に長崎市に行ってきた。
ランタンフェスティバルが行われていて、前々から一度行きたかったのだが、先週の土曜日に長崎市に行って、実際にあった話である。

長崎市は異国情緒に溢れていて、魅力のある町である。
食べ物も珍しいものが多い。
カステラ、からすみ、卓袱料理、ちゃんぽん、皿うどん、カス巻、角煮まんじゅう、マファール、ごまだんご、などなど。
どれもおいしい。
鎖国時代のヨーロッパの影響を受けたと思われるものや、中国の影響を受けたと思われる食べ物がうれしい。
何度も訪ねてみたい。

今回また長崎市の魅力が1つ増えた。
不思議がいっぱい出てくる。
次はどんな不思議が出てくるのかと思うとわくわくする。

実は、まだもう一つ不思議なことがあった。
またカステラである。
「1つ200円、5つ1000円」と書いて売られていた。
当たり前の話である。
「1つ200円、6つ1000円」なら理解できる。

長崎は坂が多いことで有名であるが、上り坂の数と下り坂の数はまったく同じ数であるという。
これも不思議であると思われないだろうか?
これは残念ながら不思議なことではない。

2月2日 (木)    3つ500円

カステラを買った。
昨日の496円とは別のものである。
昨日のものはきちんとした箱に入って、高級感漂うものである。

今日の3つ500円のカステラは切れ端である。
私はちゃんとしたやつより、切れ端の方が好きである。
カステラの縁は甘くておいしい。

街をブラブラしていたら、たまたま3つ500円のカステラを見つけた。
しかし、3つはいかにも量が多い。
1つでよい。

普通に考えると、3つ500円だったら、ひとつ200円で売っても良さそうなものである。
しかし、1つ200円、3つ500円とは書いていない。
そこで、レジに行って1つ買ったらいくらか聞いてみた。

そうしたら1つだったら500円だという。
つまり1つ買っても3つ買っても500円なのである。
そこで貧乏根性が頭をもたげた。

3つ買った。
幸いにして、賞味期限が長く、今は気温が低いから、長期保存に耐える。
ゆっくり楽しもうと思う。

それにしても1つ買っても3つ買っても値段が同じというのは不思議である。

2月1日 (水)    496円

カステラをひとつ買った。
496円であった。
中途半端な金額だから、商品代の上に消費税が乗っかっているのだろうと思った。
そこで、消費税額がいくらかを計算してみたら、24円くらいだろう。
そうすると496−24=472
本体価格は472円となる。
何とも中途半端である。

私の考え方としては、本体価格470円税込価格493円である。
何とも不思議である。

消費税率は最初3%だったのが5%に上がって、そのときに上がった2%分だけ上乗せさせたという例もないではないが、そういう計算をやっても496円の解釈には苦しむ。

1月31日 (火)    卒論修論提出

卒論と修論の締め切りが今日1月31日である。
卒業生は、この日のことを覚えている人がいることであろう。

今年は私が学部運営の仕事を引き受けたこともあって、十分に卒論にかまうことができなかった。
まことに申し訳ない気持ちである。
その分、梅木さんに相当助けていただいた。
感謝の気持ちでいっぱいである。

学生も、親はなくとも子は育つ ということわざの通り、期限をきちんと守って、きちんと仕上げて、きちんと提出してくれrた。
大した指導ができなかったが、感慨深い。

1年前の今頃は、この人たちはどうなるだろうかととても不安だった。
この人たちに実験を任せることができるのだろうかと思った。
実験の間違いはしょっちゅうで、それも1回なら許すが、2回、3回と同じ間違いをするものだから、私はよく怒っていた。
その学生たちも、夏休みの頃からきちんと実験ができるようになった。

何より、5人が協力し合って、いつも他人のことに配慮しながら、就活、実習、実験、卒論に取り組んできた姿が美しかった。
そういう優秀なゼミ生に囲まれて、私もよい仕事ができた。
このゼミ生なくして、この一年はなかったと言っても過言ではない。

いつも周りへの気配りを忘れずに、そしていつも穏やかな雰囲気でみんなを安心させてきたIEさん。
無口で語らず、よい意味でのマイペースを保ちつつも、着実な活動で信頼を得ていたIMさん。
1月まで実験をがんばり、ブログでは「できるわけないじゃん」と言いながらも、いつの間にこんな立派な論文を書いていたんだと驚嘆させたNくん。
いつも天真爛漫で、そのキャラが雰囲気を明るくしてくれたHRさん。そういえば就活たいへんだったけど、決まるときはあっという間だった。
つらい日も悩む日もあっただろうに、そんな素振りは一切見せず、いつもゼミを明るく盛り上げ、しかし押さえるところはピシッと決めることでゼミを引っ張ってくれたHMさん。

本当にこの5人だったからこそ、それぞれが立派な卒論を仕上げることができたし、とてもよい雰囲気でゼミが進んだのだと思う。
5人に感謝の気持ちでいっぱいである。

これから社会に出れば、つらいこと、悩むことはいっぱいある。
それが人生である。
それが社会人である。
みんなそうやって成長していくのである。
しかしこの5人なら、どんな困難にもたちむかっていくことができる。
断言する。

ゼミの仲間は一生の仲間である。
これからも大切にしてほしいと思う。

卒論提出に際して「出発式」を行った。

そのあと、梅木さんの心遣いで、おいしいお菓子を堪能した。
4年生のみんな、本当によくがんばりました。
褒めます。
このゼミでの経験が社会人となっても役立つことを願っています。

それから木下先生。
短大の教員という立場でありながら、修士課程に入学して、立派な修論を仕上げられたことには感服するばかりです。
私などよりよほど経験が豊富で、私の方が勉強させていただくことが多かったと思います。
ありがとうございました。
教育という仕事にかける情熱を拝見し、その姿を見習います。

最後に「出発式」のワンショット。
みんなよい顔をしているでしょう。