10月31日 (水)   追悼 のぞみさん(6)<のぞみさんへ>

のぞみさん、私たちにさようならを言うのはちょっと早すぎたんじゃない。
みんなが笑顔になることを仕事に選んだんでしょ。
みんなの笑顔を見ることがのぞみさんの生きがいだったんだよね。
なのに私たちの泣き顔見させるなんてひどいよ。

ウェディングドレス姿の最後ののぞみさん、とってもきれいでした。
でもね、それは来年の2月に見せてくれるはずだったでしょ。
早いじゃない。
早すぎるじゃない。

あなたが私のゼミから巣立っていってくれて、立派に成長し、これから同じ教員として私に新しい風を吹き込んでほしかったのに。
そう思うことは私のわがままですか?

2年生の学生、初めての担任の学生だったよね。
3月には国家試験を受けて、卒業するんだよね。
この子たちの門出をお祝いしないなんて学生がかわいそうだよ。
学生はみんなよい子たちばかりだったね。

のぞみさんがみんなの目の前で倒れたあと、この子たちはのぞみさんが一刻も早く回復しますようにと一生懸命千羽鶴を折りました。
のぞみさんの手にそっとのせたのを見ましたか?

私が講義に行ったとき、「聞いてくださいよ〜」と言って、不満をぶちまけてくれないの?
「なるほど!」と言って右手をグーにして、パーにした左手をポンとたたいてくれないの?
右手でちょっとめがねを持ち上げるニヒルな仕草は見せてくれないの?
入籍のお祝いの食事は楽しんでくれないの?

すべてが終わってしまいました。
のぞみさんがやりたかったこと、やり残したこと、少ししかできないけど私ができることをやります。

のぞみさん、いっぱいの幸せをくださってありがとう。
のぞみさん、いっぱいのエネルギーをくださってありがとう。
どうか安らかにお眠りください。

10月30日 (火)   追悼 のぞみさん(5)<仕事>

4年生は卒業後の進路を決めなければならない。
のぞみさんに卒業後どうするかを尋ねたら、専門学校に進学するという返事であった。
私はちょっと驚いた。
その専門学校はどちからというと職人を養成する学校であって、その分野によほどの興味がないと行かないところだと思っていたのである。

その専門学校は、以前から私が知っていた学校であり、学生にこんな学校があるよ という話は時々していた。
なので、ひょっとしたら私が話したことで、のぞみさんが興味をもってもらっていたのならうれしいなぁと思うが、もうそれを聞くことはできない。

あるとき、私がその専門学校にピンチヒッターで講義に行ったら、制服姿ののぞみさんがいて、元気に楽しそうにやっていた。
そのときに、のぞみさんはこの仕事がしたかったんだなぁ、夢をかなえることができてよかったなぁと思った。

のぞみさんは専門学校を卒業後、そこで取得した資格を活かした企業に就職した。
その後どうしているか全く聞こえてこなかったが、一昨年の4月、母校の専門学校の教員になったと聞いた。
あとで、のぞみさんとその学校で一緒に仕事をしていた人から、「のぞみさんはこの学校の教員になることを熱望していた」と聞いた。
だから教員免許を取得したが、家庭科の教員になることはせず、現場で技術や知識を磨いて、それを若い人に教えるという夢をかなえたのであった。

縁あって、私はこの4月からのぞみさんが勤めていた専門学校に非常勤講師として講義をすることになった。
のぞみさんは、学生に力をつけさせるために、次々と策を打ち出し、学生の信頼が厚いことを講義に行く度に感じていた。

ある日、のぞみさんがこれまでに見たことのない鬼の形相で、できのよくない学生を叱っていた。
周りにいる教員も震え上がるほどの迫力であった。
その日、授業が終わって職員室に帰ったら、のぞみさんが「恥ずかしいところを見せてしまってごめんなさい」と言っていたが、私はとても頼もしいなと思った。
こんなに学生のことに熱心になれる教員は数少なくなってしまった。

10月29日 (月)   追悼 のぞみさん(4)<ゼミ旅行>

最近はあまり行かなくなってしまったが、卒論発表がおわったあとに、ゼミ生を中心に近場の海外にゼミ旅行兼卒業旅行に行っていた。
私が旗を振って修学旅行に行くような感覚である。

のぞみさんが4年生の時には、平成17年2月に上海に行った。
当時は大分から上海へ直行便があって、これを利用した。

上海に行くことが決まったとき、のぞみさんは「おみやげに亀ゼリーを買ってこよう!」と言った。
私はその「亀ゼリー」というものがとても気になって、それがどのようなものかをのぞみさんに尋ねたところ、「私もよくわかんないんですけれどね」とのことであったが、当時の巷でちょっと流行っているものらしかった。
そして私もお店で亀ゼリーをみつけておみやげに買ってきた。

この「亀ゼリー」こそが、「すっぽんジュレ まるまるコラーゲン」の原点なのである。
私が「亀ゼリー」を知らなかったら、「まるまるコラーゲン」はこの世に誕生していない。

のぞみさんが「まるまるコラーゲン」の真の生みの親なのである。

10月28日 (日)   追悼 のぞみさん(3)<卒論のこと>

生活分野の卒論は3年生の後期にそれぞれのゼミに配属される。
のぞみさんは私のゼミに入ってきた。
それまでの様子を見ていたら、「食」に興味がありそうだったので、私のゼミにきてくれないかなぁと密かに願っていたら、きてくれた。

この頃からゼミ生が5人くらいになって、指導もたいへんで、テーマをどのように設定するかに苦慮した。

のぞみさんがまとめた卒論のテーマは「カボス搾汁残渣の機能性」に関する研究と、「シジミ抽出物の肝障害予防効果」に関する研究であった。
いずれのテーマも、望月ゼミにとっては柱となるテーマであって、今改めてのぞみさんの書いた卒論を見てみると、きちんとまとめられていて、真剣に取り組んだことを感じることができる。
これらの成果は学会発表、論文発表がされている。

5人のゼミ生は互いに助け合って、支えあって全員が立派な卒論を書き上げた。

ここにのぞみさんが書いた「謝辞」の一部を引用する。

最後に、共同研究者である宇多明日美さんとすべての研究をともに取り組み議論し合うことができたことに大きな喜びと達成感を感じております。
毎日の世話と観察が重要となる小動物の飼育実験を2人でやり遂げることができ、このように結果を残せたことも、やはり宇多さんの支えがあったからこそだと思っています。
また本研究室に所属している衛藤美香さん、上寺美和さん、もくめ美和さんとも、ともに励まし合いながら各自の研究を終えることができたことに大変うれしく思っております。
このような楽しい研究室で学べたこと、最高のパートナーに恵まれたこと、そして本研究を通して多くのことを得ることができたことに大変感謝いたします。

10月27日 (土)   追悼 のぞみさん(2)<総合演習>

大学1,2年生ののぞみさんのことはあまり記憶にない。
彼女は教員免許取得を目指していたから、それなりに私の授業を履修していたのだろうけれど、成績がどうだったか覚えていない。

3年生になって、この年、すなわち平成15年度より、「総合演習」という新しい科目が設定され、生活分野と環境分野の教員免許取得希望の5人の学生の指導を私がすることになった。
その総合演習のメンバーの中にのぞみさんがいた。

初めての総合演習ということで、私も模索しながら進めていった。
テーマはエコクッキングを中心とした環境問題だったと思う。
生活分野と環境分野がうまく調和したよいテーマをもってきたなぁと思った。

のぞみさんはその中で中心的存在で、メンバーをうまくまとめて、完成度の高いものに仕上げていった。
このときに、のぞみさんには、人をうまくまとめる力があるなぁと思った。

「総合演習」は、平成23年度までの短い期間で授業がなくなってしまったが、初めての授業の中にのぞみさんがいてくれたおかげで、そのあとの私の指導が確立した。
のぞみさんの存在をはっきり意識した授業であった。

10月26日 (金)   追悼 のぞみさん(1)<初めて会ったとき>


児玉 望さんに初めて会ったのは、平成13年3月12日のことである。
すなわち、生活分野の後期日程入試を受験して、面接で初めて顔を見た。
このときの入試は、これまでにない激戦で、募集人員3名のところに、志願者は200人を超え、受験者も100人を超えていた。
ここに集まった受験生の誰1人として自分が合格するとは思っていなかったことだろう。
のぞみさんもそう思ったと入学してから聞いた。
のぞみさんは、面接ではとても丁寧な発言で、周りの雰囲気を作り、協調性のあるしっかりした子だなぁと思ったことを今でも覚えている。

のぞみさんは、何ごとにも熱心に取り組んでいて、人望も厚く、生活分野では柱になるような存在であった。
だからといって、自分のペースで周りをかき回すのではなく、自分の意志をしっかりともちながら周りに気を遣って、上手にまとめていくタイプであった。
勤務していた学校では、その才能が開花していた。
一昨年、着任したその学校では、学生指導の中心的役割となり、いつも学生のことを考えてこの2年半の間に次々と新しいことを考えて、学生の指導に当たってきた。
仕事もようやく自分のペースでしかし学生本位の指導ができて、これから学校を盛り上げていくべき重要な存在であったのに、志半ばにして断念せざるを得ないこととなり、のぞみさんもさぞかし無念なことであろうと思う。

合掌。

10月25日 (木)   故・児玉 望さん


児玉 望さん(重野 望さん)(平成17年3月卒業)におかれましては、平成24年10月23日22時11分、突然の病により、急逝されました。

葬儀は10月25日12:00より、やすらぎ市民斎場(竹田市)にて、しめやかに執り行われました。
あまりに早すぎる死にことばがみつかりません。
望さん、やすらかにお眠りください。
そして天国から私たちのことをいつまでも見守ってください。

10月22日 (月)   生誕20000日

少し前の事になるが、10月4日に生まれてから20000日を迎えた。
生まれてから、閏年など正確に数えてこの日が20000日であると確定した。
その数字にもうそんなに経ったのかと思った。

10000日のときにも、その日を認識した。

10000日、20000日、30000日 という発想は普通は考えないが、27年と5ヶ月くらいたたないと来ない日だから、非常に貴重である。
人生、40000日生きることができる人はほとんどいないから、この区切りのよい数字は多くて3回だろう。

こうして考えて見ると、人生30000日生きられるかなぁと思う。82年と2ヶ月くらいである。
10000日までは育ててもらう時間。
20000日までは仕事で社会にかかわり、大人になる時間。
30000日までは自分を大切にすることをベースに恩返しをする時間。
ではないかと考えている。

自分の人生を振り返ってみると、だいたいそんなもんだと思う。
10000日から20000日までは夢中に過ごして、あっという間に過ぎ去ってしまった。
これからの10000日は少し余裕を持って人生を送りたいと思う。
あと10000日生きることができるかどうかわからないけれど。

今年は10000日の当たり年である。
2月には父親が30000日。
8月には長男が10000日。
そして私が20000日。
来年1月には母親が30000日。

10月15日 (月)   あっという間に2週間

つれづれ日記の更新がまったくできない。
半月以上お休みすることが増えた。
今回も気がついたら2週間更新していなかった。

なんだか多忙感が一層増している。
昨年に比べてまた半年前に比べてそれほど忙しくなった要因は思い当たらないが、でもやっぱり研究・教育・運営といった仕事のそれぞれに量も増え、いろいろとわかってくると質的にももうひとつ上のレベルをめざすようになったりと、頭をフル回転させることが一層増えた。
そこにもってきて、少しでも時間をみつけると遊びに行く。
外界からの刺激を受けるために、出張に行く。
家事は手を抜くことなく、ある程度きちんとやらないと気が済まない。それでも家の中はどんどんぐちゃぐちゃになってきている。

一番ぐちゃぐちゃになっているのは頭の中である。
毎日朝からほぼ回転していて、つれづれ日記を書くタイミングを失している。
夕方には書く気力が残っていない。

少し前は2週間分くらいなら取り戻したものだが、最近はその気力も失せている。
もう白旗である。

日記は書けるときにだけ書くことにする。

一ヶ月も中旬から2週間ほどはちょっと余裕があるから、少しはアップする頻度も増えるかなと安易な期待をしたりするが、どんなもんだか。

ありがたいことに、周りの方たちがいっぱい力を貸してくれるから、毎日が回っていくが、これがなくなったらたぶんつぶれる。
本当にありがたいことである。

10月1日 (月)   秋を満喫

暑さ寒さも彼岸までと言うが、だいたい当たっている。
先週あたりから蒸し暑さがなくなって、朝夕涼しくなってきた。
少し前まで、寝室の気温が28〜29℃であったが、最近は26℃台である。
これでは少し肌寒く、長袖のTシャツを着て、タオルケットを掛けないと寝冷えしそうである。

朝出勤したら、金木犀の香りが迎えてくれた。
秋を感じる香りである。

日が暮れるのが早くなった。
ちょっと前まではいつまでも明るいから、ついつい研究室に長居をしてしまい、帰宅するのが遅くなって、そのあとのことも遅くなって床につく時刻が遅くなって睡眠不足になっていた。
日が暮れるのが早くなったおかげで家に帰るのが少し早くなり、床につくのも少し早くなったら、身体も幾分楽である。

栗とかサンマといった秋の味覚が並んでいる。
栗は渋皮煮と栗ごはんを食べたいが、下準備に時間がかかるので二の足を踏んでいる。
サンマは特売日に買ってきて食べてみたい。

いずれにしても、湿気がなくなって空気が爽やかになったことがいちばんうれしい。
秋を感じる。

読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、天高く馬肥ゆる秋。
秋はよい印象をもたせてくれる言葉が多い。

授業が始まってまた時間に追われる毎日が始まるが、自然の移ろいを感じる余裕をもって秋を満喫したいものである。

9月30日(日)     9月の総括

あっという間に9月も終わってしまった。
ふと気がついてみると、このつれづれ日記は3週間滞ってしまっていた。

この3週間は仕事も遊びも全力であった。
忙しかったわけではない。
とらえようによっては忙しかったと言えなくはないが、毎日が充実していたので、忙しいとは思わなかった。

これまでになく毎日をアクティブにすごした結果、身体が疲れた。
身体が疲れた状態で頭が動かなくなって、つれづれ日記を書くほんの少しの余裕が持てなかったということである。

9月の最初、9月1日は北の北海道にいた。
ほぼ最後の29日は鹿児島だった。
北から南へ、また東へ西へと本当にあちこち出かけた。

おかげで気分的にはとてもリフレッシュできたし、新しい見聞も広まった。
明日から後期の授業が始まる。
また規則正しい毎日が始まる。

9月9日(日)     老後の楽しみ

まだ老後になっていない人に、老後に何をしたいかと尋ねると、ダントツで「国内旅行・海外旅行」が挙がる。
たしかに旅行はまとまった時間がいるし、ある程度のお金がいるから、若いうちはなかなかできない。
したがって、老後の楽しみとしてとっておこうという気持ちをもって当然のことである。
私も老後の楽しみとしてまずは「旅行」を考えている。

しかし、よく考えたら、これは危険である。
老後の楽しみとして「旅行」を第一に挙げることはよろしくない。

いくつか危惧していることがある。
1.旅行は結構体力を使うので、老後になって足腰が立たなくなったら旅行に行けない。
2.すぐに資金が尽きる。
3.老後10年も20年も継続してしょっちゅう旅行に行くことはない。きっとすぐ飽きる。

結局老後の楽しみとして「旅行」を挙げるのは、今身体が元気だけれど時間とお金がないからあこがれているのに過ぎない。

そういうことをいろいろと考えると、老後の楽しみはできるだけ前倒しした方がよいと思う。
老後やりたいと思うことは、今のうちにやっておかないと老後に後悔すると思う。

じゃぁ老後の楽しみは何になるんだと問われるかもしれないが、老後の楽しみは「健康に毎日をすごすこと」である。
これがベースにあれば、老後そのときにやりたいことが何でもできる。
老後の楽しみを実現するためには、今の毎日の健康に気を遣うことが必要である。

9月8日 (土)    くつろぎの休日

一週間が金、土、金、土、金、土、日 になるとよいなと思っている。
毎日休日でも飽きるし、月曜日から土曜日まで連続で仕事があるとつらい。
今週は月曜日から金曜日まで普通に仕事があって、会議がほとんどであったものの、適度な緊張感のもとで一週間を過ごした。
講義がないので、身体の疲れはとても少ない。
これがありがたい。

いつもの土曜日であれば、朝早くから起きて食事の支度、部屋の掃除、風呂の掃除、買い物 と続くのであるが、来週は出ることが多いので弁当の下ごしらえをする必要がなく、また、食材も足りているので、朝の買い物はしなかった。
部屋掃除、風呂掃除はいつものように早朝に終えた。
これらが終わると、少しホッとする。
昼前にはカーディーラーから決算セールの案内が来ていたので、来場プレゼント目当てでお店に行ってきた。
遠くない時期に車を買い換えようと思っている。
1年後のこの時期に買い換えることにした。
それまでに貯金をすることにする。

昼過ぎは家でゴロゴロして昼寝をし、15時頃から街へ出て、前から買おうと思っていたものを物色してよいものを買ってきた。
夜はテレビを見たり、本を読んだり、タブレット端末と戯れて寛いで過ごした。

久しぶりに心が安まった。

9月7日 (金)    打ち合わせと会議

今日は学内、学外の会議に明け暮れた。
また、内容も学生指導に関する打ち合わせ、研究に関する打ち合わせ、役職に関する会議と盛りだくさんであった。
会議が二次元の世界になっている。
意味がわかりにくいが、学内外という要因と会議の内容の組み合わせが二次元ということである。

打ち合わせを終えると、課題ができる。
その課題の解決に向けて明日から仕事をし、一区切りしたところでまた打ち合わせをし、次に という毎日である。
当たり前のプロセスではある。

若い頃の打ち合わせは一次元の世界であったが、最近は二次元、ひょっとしたら、徐々に三次元の世界になるかもしれない。
二次元の図形を美しく仕上げることもままならないのに、これが三次元の立体になったら、どんないびつなものになってしまうのだろうかとふと思う。
その前に二次元の図形が美しくない人のところへは、三次元の世界はこないから、私のところに三次元の世界はやってこないだろう。
などと甘えていてはいけないのであって、三次元の世界に誘われたら、それに積極的に入り込み、美しい立体を作ることができないようであれば、仕事をさせていただくわけにはいかない。

9月6日 (木)   講演会

今年は講演の当たり年である。
7月に2回、そして今日が3回目である。
今日の講演は1年以上も前から依頼をされていた。
ネタはいつでもどこでも「関あじ」「関さば」。
これしか話すことがない。
スライドは基本的にはいつも同じ。
聴いてくださる方々のプロフィールや、講演の時間を勘案して、不要なスライドを抜く。
話の内容もスライドに応じて若干変える。
しかし基本的にはいつも同じ。
なので、いつだったか忘れたが、「先生のその話は以前○○でも伺ったことがあるんですよ」といわれたことがあって、複雑な気分になった。

今日もいつものようにスライドを準備して、さぁ行こうかと改めで講演を聴いてくださる方のバックグラウンドを見てみたら、分析のプロばかりである。
分析のプロにお見せするには心許ないデータが数多くある。
これは困ったなぁと思いながら、どうやって言い訳しようかと思いながら話を進めていった。

で、言い訳は少しにして、データを示す時間を減らして、写真のところで話をたくさんして、終了予定時刻には終わることができた。

質問コーナーになった。
これが一番困る。
何を聞かれるかわからない。

ところが今日の講演はこれがよかった。
有名なキャスターが、質問を受けたときに第一声で「いい質問ですねぇ」と言うが、まさにその心境であった。
「そこを質問してくださってありがとうございます。お答えします!」というノリで質問が終わった。
思うに、そのような質問をしてくださったということは、話をよく聴いてくださって、こちらの言いたかったところを十分に理解してくださった証ではないかと、講演が終わって充実感を覚えた。

夜、交流会に誘っていただいて、昼とはまた別にコメントをいただいた。
こちらが意図していなかったことを感じ取っていただいて、非常にうれしく、また、「こんなスライドがあるとわかりやすいですよ」とサジェッションをいただいたり と私にとっては非常によい勉強の機会になった。
ありがたい一日であった。

9月5日 (水)    教室の椅子

午後からの会議はいつもの会議室が使えないとの理由で、教室で開催された。
100号教室はこの4月に机と椅子がリニューアルされて、授業をする側から学生を見ていたら、快適な様子に見えた。

今日は初めてその椅子に座って話を聴いた。
たしかに快適な座り午後値であって、会議が始まるや否や睡魔が襲ってきた。
眠ってはいけないと思い、ペンで足をつついたり、身体をぐるぐる動かしてみたが、あまり効果はなかった。

日頃講義をやっていると、眠っている学生は目につきもので、あまりよい気はしないが、今日は逆の立場に立ってみて、これは仕方ないなと思った。
どんな素晴らしい話でも、どんな大切な話でも、眠いときは眠い。
椅子の座り心地がよければなおさらのことである。

リニューアルされる前の100号教室の椅子の座り心地はあなりよくなかったが、そのせいか、眠たくなることはなかった。
あまりに座り心地のよい椅子というのも考え物である。

9月4日 (火)    雷

地震、雷、火事、親父 という。
まさにその通りかと思う。

今年は雷が多い。
今日も派手にやっていた。

子どもの頃はとても苦手で、雷が鳴るとぶるぶると震えていたが、齢を重ねると、雷が鳴っても音がするだけで、大した悪影響はないということを学習してきたから、雷が鳴り出したらパソコンの電源を落として、部屋の中でじっとしている。

大分の今年の夏は気象が派手であった。
度重なる大水害は全国的なニュースになっていた。

雷は暖かい空気と冷たい空気がぶつかるところで起きやすいという。
ということは、冷たい空気が大分にやってきているということである。
ということは、涼しくなる日が近い。
ありがたい。

話は変わって、昔、雷と親父を併せた「雷親父」というのがいた。
今では聞かない。
どこに行ってしまったのだろう?
今でもどこかにいるのだろうか?