1月31日 (月)     冴えない1月

1月がようやく終わった。
新年の幕開けは明るく楽しかったが、いきなり母親が骨折で入院したという知らせが入った。
ほどなく手術がなされ、3連休はその様子を見に行ったりしていた。
連休明けから卒論の仕上げの作業に入り、書く方の学生がたいへんなのはもちろんなのだが、チェックを入れる方も5人分だから、けっこうな量になった。
加えて、新学期に向けての書類の提出が次々と求められ、右往左往の毎日だった。
センター試験があり、今年は2日間とも朝から夜まで束縛されたから、肉体的にも精神的にもかなり疲れた。
そうこうしているうちに、腸の具合がおかしくなって、センター試験のあけた週は仕事がはかどらない日々を過ごし、その週末は精密検査。
これが大きな負担になって、1泊ではあったが、入院して検査を受けることになってしまい、また週末にくつろぐことができなかった。
最後の週になってようやく卒論がまとまったら、他の仕事も片付いて、ようやく月末の週末はリフレッシュをすることができた。

1月はとても寒かった。
1月の福岡の平均気温はここ30年の間で最低だったらしい。
大分に暮らしていて、これまで寒さが3日と続くことはなかったが、この1月は寒くない日がなかったように思う。
この寒さも身体に堪えた。

実験もはかどらなかった。
研究成果をまとめるという作業もまったく進まなかった。

不本意な1月のことは早く忘れて、頭を切り換えて2月は心新たにしたいと思い、カレンダーを早々に2月に替えた。

1月30日 (日)     猫はこたつで

寒い1日であった。
雪が舞って風が強かった。
外に出るのも躊躇したが、朝一の買い物と夕方に仕上げの品を取りに行くために、それぞれ1時間ずつ家を出た。

その他の時間はほとんど猫状態であった。
こたつに入ってテレビを見て本を読んでいた。

テレビの番組はくだらないものばかり。
本は肩の凝らないエッセイ。

自堕落の時間が流れる。
そんな暇があったら少しは勉強でもしたらよい。
と思うだけでやっぱり勉強しない。

1月の週末は家にいることがなくて、この週末に初めてのんびりできた。
のんびりすることはリフレッシュになり、次の仕事のモチベーションを高めることができる。

よい週末を過ごした。

1月29日 (土)      週末

先週のつらい週末からもう1週間経った。
早いものである。

検査結果について医師から説明を受けていないので、朝診療所に出向いていった。
がんなどの重大な病変はないと聞いていたが、急に頑固になった便秘の理由がどうにもわからない。
検査日以降、やっぱり通じがない。

検査の結果によると、私の場合、S字結腸が長く、加えてとぐろを巻いているらしい。
そこに便が滞留して、腸の動きが悪いことと相まって便秘になるのだという。

ストレスを避ける生活をすることと、身体をよく動かす生活を勧められた。
食事については栄養士に相談するように言われた。
この診療所の栄養士は私に対しては対応が非常に悪く、理屈をこねるばっかりで実践がない。
こういう食事がよいだの、こういう食事はよくないなど言うのなら、自らの手で料理を作って私の食卓に出すべきである。
この栄養士はそういうことができる状況にあるのだが、彼女は仕事とプライベートを切り離して考えているのかもしれない。
あるいは私の生命保険金を狙っているのかもしれない。

久しぶりに家の掃除をした。
風呂の掃除と部屋の掃除をした。
エアコンのフィルターの埃をとった。

部屋が汚れていた。
掃除機におびただしい量のゴミが溜まった。
おかげで部屋は綺麗になった。

食材の買い出しにも出向いた。
ついつい買いすぎた。

一日だらだらと過ごしていたら、ようやく体力が回復してきたような気がした。
久しぶりにお酒が飲みたくなって、日本酒を口にしてみたら、最初の1杯が美味しかった。
調子が戻ってきた証拠である。

1月28日 (金)     無題

4年生の卒論が仕上がって、全員無事提出したようだ。
何だか肩の荷が下りたような気がする。
そのせいか、今日の研究室に4年生の姿がない。
3年生も早めに帰ってしまったので、特に午後からは静かな研究室だった。

今日は入院している母親の様子を見に行くつもりであったが、経過が極めて順調らしいことと、まだ先週の検査のダメージが残っていて、旅行はきついなと思ったので、見舞いに行くのは止めた。
なので、研究室での予定はなく、おかげで最近できなかった研究計画の立案とか、今後3ヶ月程度の計画を立てて過ごした。

こうやって考え事をする時間は大切である。
こうやって考え事をする時間が好きである。

1月27日 (木)     6時10分

6時10分は一日のうちに2回やってくる。
朝の6時10分と夕方の6時10分である。
今の季節、どちらの時間も外は暗い。
夕方は少し明るいかもしれない。

どちらの6時10分も大分駅で迎える日が多い。
朝は大学へ出勤する途中。
夕方は家へ帰宅する途中。
大分駅を出て大分駅に戻ってくるまでちょうど12時間。

このくらいのペースで毎日を過ごすのがちょうどよい。
朝の6時10分は固定されているが、夕方の6時10分は日によって違う。
5時間目の授業がある日はもう少し遅くなる。
これより早くなる日は診療所に通う日である。

若い頃はよかったが、最近は一日の大半を仕事で過ごす生活はきつくなった。
家に帰ってくつろぐ時間がないとしんどい。
最近は家事に費やす時間が増えていて、くつろぐ時間が減っているのでなおさらである。

夕方6時10分に大分駅に着くと、まだお店が開いているので、買い物ができる。
おもに食材を買い込む。
ドラッグストアに立ち寄ることもある。
毎日のちょっとしたストレス解消になっている。

買い物をして帰宅すると7時。
運がよければ食事が調っているが、そういう日よりも自分で用意する日の方が多いような気がする。
運良く食事の支度が調っていても、翌日の弁当の仕込みはするし、夕ごはんの食器の片付けをしたり、デザートの準備をしたりとけっこうキッチンに立っている。
冷蔵庫の中身を点検して、食べられなくなったものを処分したり、翌朝の朝食の支度もする。
今の時期寒いから、ファンヒーターに灯油を入れることもある。

テレビを見たいのだが、家人がテレビの前にどかっと陣取って毎日韓国ドラマと推理ドラマとバラエティを見ているから、思うようにテレビを見ることができない。
家人が床についたら、ようやく録画しておいたクラシックの番組をチェックし、パソコンをいじったりしていると夜が更けてくる。
その日の身体の汚れを取りたいからシャワーを浴びる。
そのあと、肌が乾燥するから、身体にローションを塗ったりしているとまた時間が経つ。
翌日出すゴミを整理して、最後に台所の布巾を洗濯乾燥機に入れ、スイッチを入れると、ほぼ同じタイミングで食器乾燥機が終了の知らせをしてくるから、食器を食器棚に片付けてようやく床に入る。
そして翌朝は4時30分に起きる。

専業主婦であれば、このくらいの量の家事などどうってことはないが、家を13時間空けていた身にとって毎日のこの生活はきついものがある。
もう少し手を抜いたらよいと思うのであるが、それもゆるせない自分がいて、やっぱり「ねばならない」思考がはびこっている。

1月26日 (水)    理想像

精密検査の前後、なかなか日記を更新することができなかった。
体調が回復しないところに加えて最近やらなければならないことが多い。
いつもならすぐに終わることができる仕事にも多くの時間がかかる。
処理能力が相当落ちている。
このしわ寄せが日記の更新を怠るという状況につながっている。

卒論のチェックがほぼ終わった。
これは結構ハードな仕事であった。
卒論のチェックをしながら、自分は教員として向いていないのではないかと思っていた。

卒論を書く学生は、初めて書くのだから、書き方がわからないのは当たり前だし、妙な表現を乱発してくることは一般論として十分理解できる。
しかし、いざ主観的立場におかれ、目の前にそのような原稿があると、私は大きなストレスを感じてしまう。

そもそも教育者というのは、何もできない人間が勉強をしていく中でできるようになり、成長していく姿をみるところに喜びを感じ、それが大きなモチベーションになって仕事に対する充実感を味わうことができるのだろうと思っている。
私はどうもそういうことが思えないようで、できないのが当たり前の人に対してでさえ、完璧にできることを求めている。
そしてできないときにはイライラしている。

こういう考えを持つのは音楽家にもあるのではなかろうか。
音楽というのは流れが大切であって、技術などが未熟でその流れが止まったりすると、教える方はとても不愉快になる。
教える方は自分ができるから、できて当たり前と思っている。
そして自分の思うとおりにいかないからストレスになる。

完璧主義もよくない。
ここまでやらなければという気持ちがあると、いつまでたっても満足感に浸ることができない。

私がこんな気持ちを抱いた人生を送っているのは、私がこれまでの中で、大きな失敗経験がないからだろうと思っている。
失敗すれば、そこからどうやって立ち直ることができるかを知っているし、できない人の気持ちを理解することもできる。
いわゆる優等生という人間は教育者に向かない。
だから、ペーパーテストで高得点を取る人は教育者になるべきではないと思う。

人間はおおらかな方がよい。
多少いい加減であって、そのことについて他人にも自分にも許せることができるような人間がよい。
他人からも大きな期待をされないけれど、それも考えようによっては幸せである。
大きな期待を背負って、それをバネにして実力を発揮できるという人も中にはいて、そういう人は世界的に活躍ができる人であると思う。

1月25日 (火)     ブルーな日々

検査は身体的、精神的につらく、なかなか復活しない。
あとで体重を測ってみたら、検査の2日間で5kg減っていた。

気分もすっかり滅入ってしまって、不安が増強するばかりで、否定的な発言が増えてきた。
今日は授業が2コマあったが、1時間目の授業は2回中断した。
3時間目の授業で、学生からコメントを寄せてもらうのだが、その中に、「先生に調子のよい時ってあるんですか」とあって、まったくその通り、反論できません と思っていた。

いろんなことをネガティブに考えることは母親譲りである。
いつも母親が言っていることと同じことを言っている自分に気がつく。
親の悪いところはよく似るのに、よいところはちっとも似ない。
嘆かわしい。

実家に電話をしてみたら、母親の回復はきわめて順調で、もう1人で歩いてトイレや食堂に行けるようになったという。
一安心である。
この人は日頃はなんやかんや言っているが、結構しぶとい。
生きることに対して強い執着があるのだろう。

で、今日はそんな一日を過ごして家に帰ってもまったく気分は解放されず、悶々としながら闇雲に時間が経ち、そろそろ眠らないと明日がたいへんだと強制就寝した。

1月24日 (月)     寝坊

今日は授業があるから出勤しないわけにはいかない。
そういう義務感にとらわれることが好ましいことではない。
体力を回復させたいから、今日は目覚ましをセットしないで、目が覚めたときに起きることにした。
先回同じことを試みたところ、結局いつもとおなじように早起きをしてしまった。

今朝は気がついたら6時を回っていた。
おかげで睡眠は満足であったが、時間の虫がうずき、大急ぎで支度をしてしまって、結局7時04分の列車に乗った。
いつもより45分遅れてきただけで、結局日常の日々とあまり変わらなかった。

書類に追いまくられ、卒論の原稿がうずたかく積まれ、これを最低限片付けて、決められた授業をやったらあっという間に夜になってしまった。
そそくさと帰宅したものの、クールダウンする時間もなく、食事をして片付けをしてシャワーを浴びたら1日が終わってしまった。

1月23日 (日)     精密検査(2)

朦朧とした意識の中で朝を迎えた。
排便は続いている。
内容物はしっかり残っているのでまだ検査はできない。
8時30分になって、また下剤の経口摂取が始まった。
1800mLを服用しなければならいところ、700mLが限界だった。

排便は続く。
体力は消耗する。
11時30分になったら看護師が呼びに来て、もう十分でなくてもよいからとにかく検査をやるという。
従うしかなかった。

検査は非常にきついものであった。
こんな苦しい思いをしたことは思い出せない。
ひたすら耐えるしかなく、50分ほどかかってようやく検査が終わった。
検査の途中にも排便は止まらず、検査台をかなり汚したようだ。
とりあえず終わってホッとした。

医師の説明によると、S字結腸が螺旋状になっていて、ここで大腸の運動が弱くなってひどい便秘になったのだという。
幸いにして、がんなどによる狭窄ではなかった。
便が貯留しすぎたために、大腸は潰瘍を起こしているという。

大腸の蠕動運動を盛んにする薬と、潰瘍を治療する薬を処方してもらい、しばらく病室で休んで、夕方ようやく家に戻った。
早速水分を補い、サンドウィッチを食べたら気分もいくらか落ち着いた。

それにしてもつらい2日間であった。
検査によって便秘が改善されるという見込みはない。
またおなじように便秘が始まったらどうなるのだろうかと考え出したらまた不安になってきた。

1月22日 (土)      精密検査

18日のつれづれ日記で、精密検査を受けると書いた。
今週に入ってから体調はますます悪く、19日には、K先生とK先生に心配と迷惑をかけてしまった。
今回の精密検査の内容は、病状が病状なので、あまり披露したくなかったが、K先生が「日頃見ないブログを見て心配していたのよ!」と言ってくださったので、カミングアウトすることにする。

頑固な便秘に悩まされていた。
今年に入り、最初の排便が1月8日、その後は13日に少量の排便があったのみで、徐々に腹が張ってきて、苦しくなってきた。
下剤を服用しても、お腹が動いて痛いだけで、まったく排便がない。
月曜日に診療所を訪れて浣腸と摘便を試みてもらったが、まったく効果なし。

これは腸閉塞になっているのではないかと案じた。
しかし、ガスが出るのと、食事と食事の合間には落ち着くので、完全に閉塞してはいないだろうと考えていた。

精密検査は大腸内視鏡検査である。
この検査は3年半前に一度経験したことがあるが、けっこう苦しい検査であった。

大腸内視鏡検査を受けるためには、下剤を服用して、便を全部排出しないといけない。
そこで不安になったことに、下剤で便が出なかったらどうなるのか。
即刻手術で便を取り除かないといけないことになるだろう。
そうなれば大事である。
また、仮に便が出たとしても、便秘の原因が大腸がんであったらまたやっかいだなぁ といろいろと悪いことばかり考えて診療所に出向いた。

大腸内視鏡検査を受けるためには、3日前から下剤を飲んで、便を排泄しなければならない。
ところが、下剤を飲んでも排便はなく、今日の朝になった。
診療所に8時に到着して、大量の下剤を飲んだ。
通常なら、1時間ほどで大腸の中の便がすべて排泄されるのであるが、今回は1時間経っても2時間経ってもまったく気配がない。
やはりただごとではないと思っていると、さらに強い下剤を服用するように言われ、これを飲んだ。
ここまでで推測ではあるが、通常の便秘のときに服用する下剤の100倍量を服用しているのではないかと思った。

午後になっても一向に状況は変わらず、今度は静脈注射が出てきた。
大腸の運動をより活発にするためである。
これも即効性がなかった。
2本目の静脈注射がやってきた。

これがとどめになったのだろう。
15時35分から猛烈な腹痛を伴って激しい排便が始まった。
トイレにしゃがんだまま18時30分まで出ることができなかった。
途中、「そろそろ検査をしましょうか」と声をかけられたが、とてもそのような状態ではなかった。

この排便が非常に大きなダメージを与えた。
途中、顔面蒼白になり、意識は遠のき、冷や汗が出て、いわゆるショック状態にもなった。
トイレから出たときには歩くことができなかった。

それでも便意が止まらず、これは帰宅することは不可能であると思って、入院させてもらえるように頼んだ。
幸い特別室が空いていた。
病室の中にトイレが備え付けられていたのが幸いであった。

脱水が激しく、体力をひどく消耗したので、点滴を打ってもらうことになったのだが、ここでまた問題が起こった。
血管が出ないのである。
看護師が相当苦労して探し当てた血管に刺した針も、途中で抜けてしまって、点滴も途中で断念した。

トイレに通う合間に睡眠をむさぼるという状態で一晩を過ごした。
検査に行く前にこんな調子では、検査はどうなるのだろうか と昼間のうちは思っていたが、夜になったらそんなことを考える余裕もなくなった。
注射の針の痛みも感じなかった。

1月19日 (水)    ねばならない

調子がすぐれない理由として、疲れが溜まっているような気がする。
その中で思ったこととして、ここ数ヶ月の生活が「ねばならない」になっていることである。

弁当を作らなければならない、ゴミを捨てなければならない、寝る前にシャワーを浴びなければいけない、朝は4時30分に起きなければならない、毎週掃除をしなければならない、週末には買い物に行かなければならない
などなど、本来楽しむべき日常生活の中に義務化されているものが増えた。
というか、これも気の持ちようであるが、最近、これらをしなければならない という気持ちになっている。

こういうものの考え方は心にとって非常に好ましくない。
くつろぎの時間であるはずの日常が義務になってはいけない。

仕事面においては、自分に対しても他人に対しても「ねばならない」という価値観は小さくなっている。
なので、仕事面においては気が楽になったところもある。

そんなことを思って、2,3日前からお弁当の手を抜いたり、寝る前のシャワーを省略したり、部屋の掃除をさぼってみたら、少し気分が楽になった。
始発列車に乗らなくてもよいから朝寝坊しようと思ったが、目覚ましをセットしなくてもいつもの時刻に目が覚めた。

何もかもきままに自分勝手にやったら他人に迷惑をかけるからそういうわけにはいかないが、気持ち的に少しゆるゆるやることは大切である。

1月18日 (火)     思わしくない体調

また体調に関する愚痴が始まった。
母親に似てしまったようだ。
病院の待合室で高齢者が病気自慢をするという話がまことしやかに伝えられているが、私がその場に加わったら負けない自信がある。

センター試験のあった先週土曜日あたりから咳が出始めて、昨日はまた発熱した。
その程度は大したものではなかったが、診療所に行ってインフルエンザかどうか診てもらったら陰性だった。
昨年12月の初旬からあちこちとどこかがおかしくなっているが、この不調はとどまるところを知らない。
ここ数年来、1月のセンター試験が終わる頃はとても調子が悪い。
身体的にトラブルが出てくるし、気持ち的にも悪い。
この時期、卒論の原稿が山積みになることと、来年度の学務関係の書類が次から次へと要求されることはつらいものがある。
いずれも仕事だから甘えていてはいけない。

今年に入ってから慢性的に調子のすぐれないことが継続している。
詳しくは書かないが、診療所でそのことを話したら、精密検査を受けるように勧められた。
今週の土曜日に受ける予約をしてきた。

検査を受けるためには前処置が必要で、そのために薬を飲むことになった。
この薬の副作用が非常に強く、我慢できない状態になっている。
副作用によって引き起こされる痛みは仕事を中断させ、これに付随して激しい動悸がし、それに伴って精神状態がきわめて不安定になっている。
挙げ句の果てに、前処置が十分に整わない可能性が高くなってきた。
不安が増すばかりである。

体調が悪いと気持ちも落ち込む。
悪いことしか考えない。
このまま病院送りになったらどうしようかとそんな心配ばかりしている。

弱気になっている。
もともと弱気な性格であるが(そうは見えないかもしれないが)、弱気に拍車がかかっている。
こういうときには家にじっとこもりたい。
そういうわけにもいかない状況なのでなおさらつらい。

1月17日 (月)     大道陸橋

今日の午前0時をもって、大道陸橋が通行止めになった。
JRの高架化工事に伴う措置で、8月まで通行止めが続くという。
昨夜21時頃、陸橋の下のガソリンスタンドに行ったら、作業をする人が慌ただしく準備をしていて、あと数時間したらここから車の姿がなくなるのだなぁと思った。
午前0時直前に陸橋に行って、通行する最後の車になろうかと考えたが、寒いので止めた。

大分市の大動脈を長期間にわたって通行止めにするということで、相当な渋滞が起こると予想されていた。
これに対する対策はかなり以前から広範囲にわたって講じられていて、大学から3kmほど北上した宮崎交差点も車線が改良された。
椎迫の交差点は広くなり、東西に車がスムースに流れるように準備がされていた。
いろいろなメディアで迂回が呼びかけられた。

その対策が功を奏してか、初日の混乱はなかったようである。
多少渋滞したようだが、想定内の範囲であったらしい。

大分市中心街が大きく変わりつつある。
大分駅の高架化が完成すれば、南北がつながり、車や人の流れが大きく変わるだろう。
今賑わっている北側は徐々に寂れていくのではないか。
そのことを予兆させるかのように、今月末で大分パルコが閉店する。

大分にやってきてから23年。ほぼ四半世紀である。
その間、大学の周りはずいぶん変わったが、中心地はそれほどでもなかった。
しかし、この数年の間に劇的な変化が起こる。
25年も経てば、いろいろなことが変わって当たり前と言えば当たり前であるが、なんとなくその変化について行けないような気がするのが淋しい。

1月16日 (日)     センター試験

昨日、今日と実施されたセンター試験が私としては無事に終わった。
両日ともとても寒かったから、トイレのリクエストが続出するだろうと想定していたが、まったくなかった。
教室の空調が整備されたおかげだろう。
昔はボイラーで朝のうちだけ部屋を暖めて、そのあと暖房を切っていたから、午後から冷えてきてトイレが近かったのだろうと思う。

それにしても緊張の連続であった。
この試験においては、ミスは絶対に許されず、ミスがなくて当たり前。
ミスがあればマイナス評価がなされる。
こういうプラス評価のない仕事はきつい。
結局2日間、それほどのことをしたわけではないが、終わってみたら結構疲れていた。

センター試験の監督をやって、改めて勉強したことがある。
講義に活かすことができる。
それは、注意事項を与え、受験生がその作業が終わるのをきちんと確認してから次の注意事項を話すことである。
つまり、講義においても、説明して板書をしたら学生はそれをノートに取るだろう。
ノートに取り終わるまでは、新しいことをしゃべっても理解しないし、できない。
このことを改めて認識した。

日頃の講義のやり方を考え直すという観点から、この試験監督は価値があるなと思った。
早速明日の授業から心して実践することにする。

1月15日 (土)      寒い

今日は寒かった。
この冬一番の冷え込みだったことであろう。
夕方から雪が降り、日が暮れたらうっすらと積もった。
風も強くなり、一層寒さが際立った。

若い頃は冬はそれほど苦手ではなく、むしろスキーなどに喜んで出かけていて、寒いのは平気であったが、最近は寒いのがだめだ。
どんなに厚着をしても冷たい。
血圧が上がり、気分が悪くなることがある。
もう少し下着などを工夫して寒さ対策をしないと命を取られかねない。

今日はセンター試験の1日目であった。
毎年のように監督をした。
こういう寒い日は、試験の途中でトイレのために一時退出する受験生が多いので、それなりの覚悟をしていたが、予想に反して誰も何も言わなかった。
その理由を考えてみたら、建物がよくなったことではないかと考えた。
空調が完備されて、夕方になっても書いてな室温が保たれている。
そういえば教室が寒くなるとトイレ退出が増えるようであった。

寒い話に戻る。
大分にいると、もともとが暖かいから、急に寒くなったりすると余計に寒い。
これが札幌など北の国であったら、最初から寒いと覚悟しているから、却ってそれほど寒くない。
それに、北の国は、外へ出れば確かに寒いが、室内に入れば暖かい。
大分では室内暖房が不十分である。

マンションに住むようになってから、冬の室内が暖かく、ありがたい。
特に浴室が家の真ん中にあるのがうれしい。
それに加えて浴室暖房がついていて、脱衣場には予めファンヒーターを入れているから快適である。
おかげでこの冬でも起きてすぐと寝る前の2回シャワーを浴びる。

風呂は苦手であるが、シャワーは心地よい。
身体が休まらないという人もいるが、私は休まる。
シャワーそのものが身体を休めるというわけではないかもしれない。
身体がさっぱりとして、そのあとローションなどを塗りたぐるとこれがなんとも気持ちがよい。

明日はもっと寒くなるらしい。
センター試験が無事終わることを祈るのみである。

1月14日 (金)     うれしいこと

朝9時からブリーフィングを始めて、終わったのが10時頃だった。
4年生は卒論の作成に時間がいるだろうと思って早めに解放したが、ブリーフィングが終わったらみんな戻ってきたので、なにごとかと思った。
そうしたら、「お誕生日のお祝いです」とプレゼントを渡してくれた。
まったく予期しない出来事で、とまどってしまった。
うれしいやらびっくりするやら。
誕生日というと、私は他人のお祝いするのは好きで、プレゼントを渡したときの喜ぶ顔を見るのが自分のスタイルであると思っているので、お祝いしてもらったり、プレゼントをいただくのはなんだか照れくさいというか、なんだかしっくりこないというか、なんだか不相応とういうか、とにかくなじんでいない。

でもやっぱりとってもうれしくて、早速中身を見せてもらったら、これが温かいスリッパ。
この時期、研究室のデスクに座っていると、身体は暖かいのであるが、足下が冷たくて気になっていたが、こんなよいものがあったとは。
そういう心遣いをしてくれた4年生のゼミ生にただただ感謝。
早速履いてみたら、これがきわめて調子がよい。
おかげでデスクから動かなくなった。

と、普通ならここで終わるところが、さらにサプライズ。
梅木さんからも「おめでとうございます!」と、これは包装でわかるネクタイのプレゼント。
日頃お世話になりっぱなしなのに、こんなことまでしていただいて、ただただ恐縮。
さて、中身はというと、これが大分ネクタイ。
それも関さばの絵柄。
これもまた何よりのものを。
早速このネクタイを締めて一日を過ごした。

実は、これだけにとどまらない。
3年生がすでにお祝いをしてくれている。
これは先週のこと。
このときもびっくりした。
で、何をいただいたかというと、これはお弁当箱。
私が毎日タッパーにお弁当を作ってくることをしっかいチェックしていたらしい。
これがまた最近はやりのスリムタイプのモノで、早速今週の火曜日から使っている。
お弁当を作る楽しみがまた一つ増えている。

このように53歳の誕生日はゼミのみんなにお祝いをしてもらって、本当にうれしくありがたいよい53歳だった。
とってもうれしいのであるが、やっぱり申し訳ないという気持ちの方が強い。

みなさんの気持ちに本当に感謝します。
本当にありがとう。

で、さらに話は続くのであるが、プライベートの話になって申し訳ないのだが、この前の月曜日に長男夫婦が家を訪ねてきた。
何ごとかと思っていたら、これが誕生日のお祝い。
これもまたうれしいやら照れくさいやら申し訳ないやら。
気を遣ってくれたプレゼントは暖かいブランケット。
うたた寝したり、夜家でパソコンをあたるときに上に羽織るのにちょうどよく、この寒い冬にとっても重宝している。

そんなことで、今年は若い人に気を遣わせてしまった。
ただただ恐縮と感謝。
この好意に報いることができるとすれば、やっぱり今年1年、健康で過ごすということだろうと思う。

1月13日 (木)     スーツの再生

年末年始の休暇中に、冬物のスーツをクリーニングに出した。
それが戻ってきて、また仕事着として着ようとクリーニングの袋から出して、ハンガーに掛けながらスーツを丹念に見ていたら、結構くたびれていることに気がついた。
袖の角がすり減ったものが多く、テカリが出ているものもある。
スラックスはアイロンがかかっているにもかかわらず、特にウエスト付近がくたびれていて、これはちょっとよくないなと思った。
思い起こしてみると、今着ているスーツの大半は7〜8年前に購入したもので、最近は買っていない。
時間が経てばくたびれてくるのは仕方がないから、新しく買おうかと思った。

が、クローゼットを整理していたら、ダイエットをする前のスーツがたくさん残っていて、よく見てみると高級ブランドのスーツだったりする。
品質もよい。
ダイエットが完成してから8年になるので、8年間の間着ていなかったということになる。
これをこのまま眠らせておくのはもったいないと思った。

そこで、リフォームを思いつき、洋服を補正するお店に尋ねてみたら、少々値が張るが、今の身体にフィットするようにアレンジしてくれるというので、早速お店に持っていって補正を依頼した。
今月中には3着のスーツが再生されることになった。

これまでは新しいものを買うことばかり考えていたが、そろそろモノを増やすという生活からモノを捨てるという生活にシフトしていかなければならない。
そうやってモノを切り離していくと、心も軽くなっていくような気がする。

1月12日 (水)    イライラした一日

今日も朝から次から次へと課題が湧いてきて、一つ一つをやっつけていくのに精一杯の1日であった。
お昼を過ぎたら、頭の回転が一気に鈍くなった。
こうなるとはかどらない。
具合がよいことに と言ったら不謹慎であるが、午後から教授会があり、それに出ることで、頭の中の嵐を鎮めることができたような気がした。
実験の計画とか日程調整を頭の中でやったらすっきりした。

しかしやはり頭が疲れたのだろう。
夕方から無性にイライラして、訳もなく時間に対する焦りを感じた。
家に帰ったら、気分が休まるどころか、ますますイライラ感が助長された。
ファンヒーターの灯油が少なくなっていたので、帰ってすぐに寒いベランダに出て、タンクに給油をしたら、これが失敗した。
暗かったので灯油がどれほど入ったかわからず、あっと思ったときには思いきり灯油が溢れていた。
おかげでベランダに大きなシミができた。
灯油のシミはタチが悪い。
かなり長い間、下手をしたら永久にシミが残る。

イライラしてとにかく何かを食べたかったから、食卓の上に乗っかっているものを片っ端から口にした。
湯豆腐があったが、中まで温まっておらず、冷や奴であった。
さらにイライラ感が助長され、これがとどまらない食欲となって、食事が終わった後もお菓子を食べた。
ようやくお腹が落ち着いたと思ったときには行きすぎていた。
気がついたら胃がもたれていて、これに加えてお腹が張って、つらい思いをしながら、睡眠不足になってはいけないという気持ちが先走って、満腹状態で床に入った。

そんな日もあるよね と流すことができないほど、心の余裕を失っていた。

1月11日 (火)     正月ボケ

今日は2011年1月11日。
書きようによっては1がならぶ。
縁起がよい。
11時11分に、総務係から荷物が届いたとの電話があった。
電話を取ったら、電話機の時刻が全部1だったので、記念写真を撮った。

今日からまた授業が始まった。
学生が戻ってきてキャンパスは賑やかである。
早速授業をしたが、どうにも調子が出なかった。
板書はぐじゃぐじゃになり、ことばに詰まったりする。
まだまだお屠蘇気分が抜けきらない。

そんなのんきなことを言っている暇などなく、次から次へと仕事が湧いてくる。
書類を書いたり、メールに対応したり と事務的なことが多い。
本来の仕事であると思っている卒論を見たりとか、レポートを見たりといった学生指導が疎かになってしまってよくない。

そういう日はひとがんばりして全部やっつけるのがよいと思うものの、頭が働かない。
がんばろうと思えば思うほど空回りをする。
こういうときは落ち着いて、できることから少しずつやっていけば、いずれ近いうちに片付くときがくる。

と、ぼちぼちやっている端から問い合わせなどがやってきて、目先の対応をするのに精一杯である。

1月5日 (水)    暗い話

昨日ほのめかした暗い話について書くことにする。

大晦日の夜に父親から電話があって、母親が立つことができなくなり、トイレの度に引っ張っていかなくてはならなくなってしまい、たいへんだ と言っていた。
トイレにつれていくまでに待てなくて失禁してしまうので困った と言っていた。
加えて、立つことができなくなる直前に、母親が外で転んでしまい、腰が痛いと言っている、一晩様子を見る と言っていた。
私は心配になったので、その足で実家に行こうかと言ったが、まだよい、様子を見てからでよい との答えであった。

元日に電話をしたら、母親は相変わらず立つことができず、トイレの世話もたいへんなので、救急車を呼んで入院した と言っていた。
担当医師によると骨折をしているらしい。
やっかいなことになった。

認知症→骨折 と高齢者特有のパターンを辿っている。
このあとには「寝たきり」ということばが頭をよぎる。

母親は徐々に認知症が進んでいるのか、よくも悪くも現状を認識する能力が減少しているようで、自分勝手なことを言っているようだ。
なので、母親本人のことはあんまり心配していない。
心配なのは父親のことである。

毎日の母親の介護は肉体的、精神的にかなり疲れることだろうと思う。
私としては何かできることがあればやりたいと思うが、何をしたらよいのかわからない。
そこで、父親に何をしたらよいかと尋ねるのだが、いつも返事は「何もしなくてよい」という。
相手が望んでいないことをこちらからやっても、却ってお節介になると思うので、父親がヘルプを求めてきたときにはいつでも対応できるようにしておこうと思う。

昨日、その後どうなったか、手術の日程は決まったか と父親に電話をしてみたら、
かわりなし、手術は木曜日の予定 との返事だった。

「なるようにしかならん」と付け加えた声には幾分かの安堵感が漂っていた。
母親の世話から一時的に解放されて少し楽になったのかもしれない。

明日と明後日は仕事で出かける用事があるので、今度の連休にでも様子を見に行こうと思う。

ということで、日記は連休明けまで休ませていただきます。

1月4日 (火)     運だめし

お正月は今年の運試しをしてみる。

まず最初に福袋。
今年もお気に入りのブランドの衣料品の福袋をひとつ。
食料品の福袋をいくつか買い求めた。

最近の福袋は中身が見えるようになっているものが多く、食料品は納得したものを買ってくるから、間違いはない。
ただし、それほど値打ちというわけではない。
定価の150%くらいのものである。
今年は、お茶、明太子、パン、チーズの福袋を買ってきた。
お茶の福袋は、見本で見たもののうち、一つが入っていなかったので、売り場に行って取り替えてもらった。
縁起物にクレームをつける客もいないのではないかと思う。
気持ちよく取り替えてもらえることができてホッとした。

衣料品の福袋。
今年は大満足。
衣料品の福袋は、たいてい一つや二つ、どうでもよいものが入っているし、それを見越して買うのであるが、今年のものは5点すべて気に入った。
これまでの福袋の中で、もっともよかった。
うれしくなって、早速着用して正月を過ごした。

運試しの二つ目は神社の御神籤。
近所の神社に初詣に出向き、その足で引いてみた。
「大吉」とあった。
大吉だからよいとか、末吉はだめだとかいうことはなく、要は書いてある内容が重要である。
書かれていることに注意をし、よいと言われることにはそれに従って毎日を過ごしていけば、人生はよりよいものになると思う。
だから、御神籤というのは運試しというよりは、毎日の生き方を考えるひとつのきっかけにすればよいと思う。
正月に引いてきた御神籤は、毎年目につくところに貼っておき、つらいときには読み返してみる。
なるほどなぁと気分が楽になることがある。

正月は福袋と御神籤は運がよかったが、暗い話題もわき上がり、どうしたものかとちょっと不安になっている。
そのことは明日の日記で。

1月3日 (月)     正月三日

年末年始の休暇も今日で終わり。
おせち料理もほぼ食べ尽くし、お屠蘇もなくなって正月気分が小さくなっていく。
帰省していた次男坊も夕方福岡に帰っていった。
運良く高速道路が通行止めになっていなかったので、少し時間はかかったが、寮に無事帰り着いたようだ。

明日からまたいつもの生活に戻る。
本当に休暇というのはあっという間に終わる。
一度でいいから、休みに飽きたと言ってみたいものだが、今年の年末年始もまだ物足りなかった。
休暇中にやろうと思っていたことのうち、かなりのものが積み残しとなった。

明日からまた早起きの生活に戻るので、今日は早めに食事を済ませて、弁当の下ごしらえもして、お酒はほどほどにして早めに寝た。
正月ですっかり朝寝坊の癖がついてしまい、明日朝いつもと同じように起きることができるか不安である。

1月2日 (日)     誕生日

今日は年に一度の誕生日である。
一年の間に何回もあったら困ることではあるが。

53歳になった。
そんな実感はない。
気持ちはまだ30歳くらいだ。

しかし客観的に53歳の人というのを想像すると、上に立って若い者をぐいぐい引っ張っていく人というイメージがある。
イメージの通りにはいかない。
まだまだ甘えていて、だれかに引っ張っていって欲しいと思っている。

この歳になると、忠告してくれる人がいなくなる。
これはつらい。
周りにどれほどの迷惑をかけているのかがわからないから、これはよくない。
自分自身の行いを常に自分自身で評価しなければならない。
若い人の意見は是非聞いていきたい。

子どもの頃、正月が誕生日というのはいやであった。
去年あたりにも書いたかもしれないが、お正月と誕生日のお祝いがセットでやってきたからだ。
歳を重ねるにつれ、正月が誕生日というのはよいなと思えるようになってきた。

元旦に今年一年はどんな一年にしようかと考えるが、ほぼ同時にこの歳はどんな歳にしようかと考えることができる。
元日は主に仕事のこと、2日は主に人生のこと。

明るく元気に53歳を過ごしていきたいと思う。

1月1日 (土)      元日

元日である。
平成23年、2011年の幕開けである。

たまたまテレビで池上彰さんが解説していたが、1月1日は「元日」であって、「元旦」というのは元日の朝のことを指すのだそうだ。
なので、「元旦の朝に初詣に行った」という表現は正確ではない。
こういうどうでもよい知識を得ることは楽しい。

年賀状をたくさんいただいた。
いただくだけで、その人のことを思う。
元気にしているかなとか、今どうしているかなと思う。

一筆書いてくださっている人は様子がわかってうれしいが、何も書いていなくても、年賀状が届くということは元気である証拠である。
日本郵便の肩をもつわけではないが、やはり年賀状のやりとりは日本のよい習慣であると思う。
とか言いながら、自分は印刷したものを出すだけであるが、せめて宛名だけは手書きで書いている。

今年の年賀状の中で印象に残ったのが2つある。
一つは複数の方から同じような内容であったが、「じいさんになったか」というものである。
そういえば、去年の年賀状に「長男が結婚した」と書いたから、そういうことになるのかもしれない。
まだもうしばらくはお預け。
「じいさん」ということばを改めて他人から聞くとなんだかへんな気分になる。

もう一つは従妹の上の子が私が卒業した高校に入学したというものである。
あの従妹の子がもうそんな歳になるのかという気持ちと同時に、なんかちょっとうれしかった。

正月というと、親元へ帰省するというのが例年のパターンであったが、二人の子どもが家を出ていったので、帰省する側から、帰省される側になった。
午後からみんなが集まって賑やかに過ごした。

食べ過ぎた。