10月31日 (日)    しゃーしぃおばさんたち

最近コンサートに行ったり、旅行に出たりすると、団塊の世代とおぼしき女性の集まりが目立つようになった。
旦那は定年となり、これからが私たちの時間よと言わんばかりのパワーである。
これに対し、旦那さんたちの姿が減った。
定年になったら、夜や休日は外に出なくなったのだろうか。
現役の時には酒場での夜のミーティングとか、休日の出張などがあったはずなのであるが、そういう用事がなくなったら出てこないのだろうか。
なんだか元気をすべて奥方に吸い取られているような気がして、少し淋しく思ったりする。

それにしても中年の女性が数人集まるとうるさいことこの上ない。
迷惑である。

まず、公共交通機関でのおしゃべりと電話。
朝早いバスであろうと、夜遅い電車であろうと周りにおかまいなしにしゃべるしゃべる。
携帯電話は遠慮してくれとアナウンスがあっても人ごとのようにふるまっている。
社会性が乏しいのではないかと思う。

講演会なので話を聞きながら、いちいち「うーん、うーん」と声を出して相づちをうつ。
なんだか気になって仕方がない。
男性は頷きはするものの、声までは出さない。

中年女性は単独行動をしている時にはおとなしいのであるが、複数集まると暴徒化する。
自分たちが正しくて、周りはすべて悪という様相である。

なので、中年女性の集団は苦手。
なるべく避けるようにしているが、バスや列車でどうしても近くにいて逃げられない時がある。
そんなときは音楽プレイヤーのボリュームを上げて、おしゃべりが聞こえないように防御する。
そうすると、音がヘッドホンから漏れて今度はこっちが迷惑をかけているのだろう。

テレビを見ていたら綾小路きみまろが出ていた。
相変わらずの毒舌で中年女性をけちょんけちょんにけなしていた。
それを聞いてあははと笑っている中年女性が多いことを知って鳥肌が立った。
この人たちは少なくとも自分はそうではないと思っているに違いない。

その自分だけは例外という考え方はよくないし危ないと思う。

10月30日 (土)     つれづれ5周年

つれづれ日記を書き始めてから丸4年が経った。
改めてよく続いていると思う。
最近はネタも尽きて、過去に触れた話題をもう一度書いたりしている。
気候が同じ時期になると、話題も同じになる。

久しぶりに過去の日記を読み返してみた。
やってることや考えていることはあんまり変わりがない。
それだけ大きな問題もなく毎日を過ごしているということだろう。
ありがたいことである。

この日記を毎日見てくださっている方が増えているようだ。
この前も卒業生のTさんが訪ねてきてくれた時に、Oさんともども毎日日記を見てくださっているという。
ありがたいことだがなんだか照れくさい。
しかし、研究室を取り巻く話題について読んでいただければ、研究室の様子もわかっていただくことができて、懐かしさを感じてもらえるのではないかとも思う。
それならとてもうれしい。

つれづれ日記を始めるきっかけとなったのは、パソコンの調子が悪くなったことであった。
ほとんど偶然的ではあるが、この秋、パソコンにいろいろと不都合が生じて、新しいのを3台購入することになった。
新しいパソコンは昨日届いた。

研究室のホームページも来月に入ったら学生を中心に充実してもらおうと思っている。
3年生の紹介もしなくてはならない。

10月29日 (金)    学園祭

第7回聡明祭が今日から31日までに3日間にわたって開催される。
台風の来襲が心配され、開催が危ぶまれたが、まずまずの天気に恵まれた。

今日は初日の平日ということもあって、メインストリートを歩く人はほとんどが身内のものである。
模擬店のお客も身内がほとんどである。

学園祭もずいぶん様変わりした。
昔は学生主体のお祭りで、学生が好きなようにやっていたように見ていたが、最近は大学開放イベントも同時に開催されることから、学生のお祭りではなく、大学全体のお祭りになった。
なのでスケールも大きくなった。

模擬店はお楽しみの一つである。
いろいろなグループがいろいろなものを売っていて冷やかすだけでも楽しい。
今年は残念ながら、研究室を出ることができないので、どんな様子かわからない。
生活分野の1年生が出店するからチケットを買ってください と今週の火曜日に声をかけられたので、チケットを買ったら、昼前に届けてくれた。
チケットには「ちくわ」と書いてあったから、どんなちくわが出てくるのだろうかとわくわくしていた。
ちくわの穴の中にウィンナーソーセージ、チーズ、明太子マヨネーズが詰められていて、それが天ぷらになっていた。
これがけっこう美味で、お昼ごはんのよいおかずになった。
ぺろっと平らげてしまった。

明日は土曜日。学外からのお客さんもたくさんやってきて賑わうことだろう。

今日のつれづれ日記を読んでくださったみなさん。
週末のひととき、大分大学のキャンパスに遊びに来てください。
楽しんでいただけると思います。

10月28日 (木)    ミス

今日は実験を行う予定であったが、動物の状態がよくないので延期することにした。
それはミスと言えばミスであった。
そういうことが起こらないように予め注意しなかった私が悪いのであるが、慣れてくると当たり前であると思っていることも、慣れないうちは当たり前ではなく、結果としてミスになることがある。
幸いにして、そのミスを取り返すのに少しの時間を要するだけであって、大事には至らなかったので、ぼやで消し止めたと言ったところだろうか。

実験を延期することにしたら与える飼料が足りなくなったので、作ってもらったら、最後にまたミスが発覚した。
偶然見つかったが、これも私にとっては当たり前のことで、予め注意することなど思いもよらなかった。

かように慣れというものはこわい。
慣れたことを自分でやるのであればよいが、他人にやってもらう時には自分では当たり前だと思っていることが当たり前ではない。
だが、どの程度まで当たり前かというと、それを判断するのはむずかしい。
あまり細かいことばかり気にしていてもよくない。
このあたりのさじ加減が難しいところ。
新人の皆さんには早く慣れてくれるとうれしいなぁと思っている。

10月27日 (水)    電子メール考

電子メールはいまやなくてはならない通信手段である。
パソコンを介することはもちろん、携帯電話でのやりとりがさかんである。
毎日仕事に関係するメールが数十通届く。

電子メールに対する対応の仕方は人それぞれであって、どれが一番よいとは言えない。
電子メールを読むタイミングについては、常に電子メールを起動させておいて、到着次第すぐに読むという人がいる。
私はこのタイプである。
また、午前中に一回しか見ないとか朝一番でしか見ないという人もいる。
私は何となく落ち着かないので常にメールの到着を監視していて、時間がある限りすぐに返信するように心がけているつもりである。
しかし、そういう対応は必ずしも最適ではない。
相手が「あの人からはすぐに返事がくる」と思わせると、すぐに返事を要求するような文面でメールが届くことがある。
メールは一方的だから、すぐに返事が欲しい時には電話を使うべきであって、メールを使うべきではない。

こちらからメールを送ると返事が返ってくることが多いが、ときどき気になることがある。
それは、返事にこちらから送ったメールがそのまま引用されて添付されてくることである。
自分が送ったメールを改めて知らせてもらう必要はないし、一度送ったものはあまり見たくない。
どうしても見たい時には送信箱を開ける。
これも価値観の違いだから、そういう形で返信するのが礼儀であると思っている人がいるかもしれないから、それはそれでよい。

メールを引用する上で一番うれしいのは、送ったメールの必要な部分だけを引用してくる返事。
これはメールをきちんと読んでくださって、それに対して答えますよ という気持ちが伝わってくる。

なので、私がメールの返事をする時にはよほどのことがない限り全文引用はしない。
必要な部分だけを引用したり、送られてきたメールの文章の間に返事を書いて送るようにしている。

10月26日 (火)    酒が不味い

酒が不味い。
まだ体調が完全に回復していない証である。
身体的、精神的に状態がよい時には酒が美味しく、飲んでも後に残らないが、体調が悪い時には美味しくないし、後に残る。
わかっているのなら今日など最初から飲まなければよいのではないかという考え方もあるが、酒の美味・不味が体調のバロメーターになるとすれば、まずは飲んでみるというのも一つのやり方である。

いつものように安いビールもどきはそこそこ飲めた。
その後にいつものように、清酒を飲んでみたら、これがどうにも不味く、挙げ句の果てには頭がくらくらとしてきた。
この清酒は以前飲んだ時には美味しくて気に入っていたものであったから、酒のせいではない。

10月25日 (月)    体調不良

週末出かけていて、出先であまり眠ることができず、乗り物に乗って気分を悪くしたりと、体調が低下傾向にあったところ、昨日追い打ちをかけるように、夜が更ける頃から猛烈な腹痛に襲われた。
状況はかなり厳しく、一晩中眠れないという状態であった。

そんな状態であっても頭は根性があるのかないのか、融通が利かないと言った方がよいのかもしれないが、いつもの始発列車に乗ってやってきた。
やってきたことはよいものの、冷や汗ばかりかいていて、ときに頭も痛み、仕事がはかどらなかった。
しかしながら今日は前々から予定していた打ち合わせがあり、これをキャンセルするわけにはいかず、とりあえずこれをこなすまで何とかしようと思いながらその打ち合わせを終えた。
終わって調子が上がるかと思ったが、逆にさらに調子が悪くなったので、今日はいさぎよくあきらめて早めに家に帰り、すぐさま床に入った。

しばらくして目覚めたらかなり戻っていた。
お腹の調子が収まったことと、睡眠不足がいくらか解消されたのがよかったのだろう。
今回は風邪ではなく、発熱もなかったことから、少しの休養で回復の方向に向かった。
やれやれである。

9月、10月と気候の変化が激しく、これが体調変化の引き金になったのだろう。
それに加えて睡眠不足。
睡眠は大切である。

10月24日 (日)    ベートーヴェン

ベートーヴェンは私が最も好きな作曲家である。
もともとオーケストラの楽曲が好きだから、交響曲や協奏曲をよく聴くが、ベートーヴェンの楽曲は特に好きな曲が多い。

〜書きかけ〜 以下後日

10月23日 (土)     法事

一昨年の11月に亡くなった伯母の三回忌があった。
去年の10月には一周忌があり、2年連続である。
一昨年、昨年はお葬式や法事がたくさんあった。
極めて不謹慎ではあるが、こういう機会に親戚に会えるのは楽しいひとときである。
こういう機会が楽しいひとときだと思えることは故人に感謝しなければならない。

叔父伯母の仲がよくないと、従兄弟たちと会うのが楽しみというわけにはいかない。
仲が悪くなる原因の多くは親の遺産である。
親が遺産を残したり、遺産の分配方法を明示しなかったりするともめる。
もめると兄弟仲が悪くなり、それが親のせいだという話になり、法事は険悪なムードになる。
法事は楽しいものでなく、苦痛のひとときとなる。

それで今日の法事。
去年のつれづれ日記を読んでいたら、去年とほぼ同じであった。
なので、去年の文章を「>」で引用しつつ進めていく。


>またまた今月も法事である。
>毎月のように実家に戻っては父親の代理として初盆や法事に出向いている。
>いつもながら、従兄弟たちと会って話をするのが楽しい。
>こういう機会がないと集まらない。
>天寿を全うした人の法事だから雰囲気が明るくてよい。

一年ぶりの法事である。
法事は父親の代理として出向いている。
いつもながら、従兄弟たちと会って話をするの楽しい。

>今日は父方の伯母の1周忌。
>去年、学会に出席していたら父親から電話があって、伯母が亡くなったとの知らせを受け、急遽お葬式に行ったことがついこの前のような気がする。
>月日の経つのは早い。

今日は父方の伯母の三回忌。

>今日は日頃会えない従姉妹に会うことができた。
>彼女は私より5歳年上であることがわかったが、私と同じくらいの年恰好のこどもがいるので、話が盛り上がる。
>うちは男の子2人だが、あっちは女の子2人である。
>二人ともそれぞれの仕事で活躍しているとのこと、なんとも頼もしい。
>その子供たちに会ったのは今から10年近く前で、彼女達が高校生や中学生の頃だったから今ではすっかり様子も変わっているだろう。
>子どもの成長は早い。

今日は昨年の従姉の兄が参加。
会社を一度定年退職して、再雇用で仕事をしている。
兄貴のような存在は子どもの時から変わらない。
会社の仕事が少し落ち着いたら一緒に釜山に行こうと誘っているが、まだ少し先になりそうである。
この従兄から社会人としての常識や、社会人ならではのおもしろみ、苦しさを聞かせてもらったことで、自分が社会人として徐々に自立していくことができた。

>ごちそうを食べて盛り上がり、楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。
>来年は3回忌があるからまた会えるとして、そのあとは当分会うことが出来ないと思ったら、なんとなくさびしくなって、
>「毎年法事があるといいのに」と言ったら、
>一番年長の従姉妹に「あんた、なんちゅうじじくさい」
>と言われてしまった。
>一番年長の従姉妹は母親と同年齢である。

今年もごちそうを食べて盛り上がり、楽しい時間はあっという間に過ぎ去った。
今度は伯母の七回忌まで4年あるから当分みんなに会えないなと思ったらやはり寂しくなった。
「来年は四回忌をやろう」と言ったら、
一番年長の従姉に「そんなん、あるわけないじゃん」
と本気にされてしまった。
法事を理由にみんなで集まりたいという意味であった。

10月22日 (金)    バッハ

バッハは「交響曲の父」と呼ばれている。
交響曲は第104番まであるから、たぶん104曲あるのだろう。
その中にはユニークなタイトルがついたものもある。
たとえば「驚愕」。
ピアニッシモで始まった第2楽章の旋律は単調であり、思わず眠たくなるが、うとうとしかけた頃に思いっきりフォルテッシモで一発「ジャン!」とくる。
わかっていても楽しい。
この一打が「驚愕」の所以である。

最後の104番は「ロンドン」という愛称で呼ばれることもあるが、端正な曲調がいかにもイギリスの兵隊を彷彿させる。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の古い演奏を気に入っている。

「ブランデンブルグ協奏曲」もよい。
特に3番。1番短い曲である。
軽快な曲である。

5番は第2楽章。
これには懐かしい思い出がある。

高校3年生の音楽の時間で、教師が課題を出した。
それは「何か出し物をしろ」という課題であった。
当時、クラッシック音楽を好む友だちが数人いて、毎日音楽の話題で盛り上がっていたが、その友人の1人がフルートをかじっていた。
彼が「出し物やるならブランデンブルグ協奏曲の5番をやろう」と言い出した。
第2楽章はヴァイオリンとフルートとチェンバロのトリオである。
彼はもちろんフルート。私はチェンバロの替わりにピアノ。
ヴァイオリンをどうしようかということになった。
同じクラスの女の子がヴァイオリンを弾けるらしいという情報を聞きつけた。
私たちは彼女を拝み倒して即席トリオに入ってもらった。
彼女はあまり乗り気ではなかったみたいだ。
一度は断られたからだ。

この曲はそれほど難しくないので、友人と私は一緒に練習したが、ヴァイオリンの彼女とは本番でいきなり合わせることとなった。
それでもちゃんと曲になって、クラスメイトを驚かすには十分であった。
音楽教師も驚いたようだ。
この出し物のおかげで私の高校3年生の音楽の評定は「5」になった。

10月21日 (木)    モーツァルト

モーツァルトは36年の生涯の中で600曲以上の曲を作曲したと言われている。
生まれてすぐには作曲できないから、実働30年としても年に20曲書いていることになる。
2週間と半分で1曲のペースである。
これが小曲ばかりなら納得できるが、交響曲あり、協奏曲あり、室内楽あり、歌曲あり、歌劇あり とスケールの大きな曲もあるから、これは天才的な創作力である。
確かに天才と言われている。

モーツァルトの曲はどれもこれもメロディが美しい。
難点と言えば、異なる曲でも似たような旋律が出てくるから、ことばは悪いが、「使い回し」をしている。
その使い回しは決して嫌味にならなくて、うまい具合にどこかで聞いた旋律が出てくる。

さて、モーツァルトの曲でお気に入りはというと、
やっぱり交響曲。39,40,41番。最後の三部作である。
この中で特にのお気に入りは39番の第3楽章。
クラリネットのソロがとても美しい。
それから41番の第4楽章。
フーガの掛け合いがワクワクさせる。
それからクラリネット協奏曲。
クラリネットがいかにもクラリネットらしいいろいろな表情を見せてくれる。
晩年の曲である。

それからときどき聞くのは歌劇「魔笛」
学生の時、二期会のステージを見に行って一発で気に入ってしまった。
オペラはレコードではダメだ。
ステージを見なければいけない。

モーツァルトの曲はもっと好きな曲があるかと思ったら意外に少なかった。

10月20日 (水)    シューベルト

シューベルトというと歌曲とか、弦楽四重奏曲に名曲が多い。
「冬の旅」という有名な歌曲があるが、聞いたことがない。
いや、たぶん一回くらいは聞いたことがあると思うが、好きになれなかったんだろう。

「ます」という室内楽曲がある。
これには歌詞がつけられていて中学校か高校の時、音楽の時間に歌った覚えがある。
「かくしてやがてますはつられにけり」などとまわりくどい文語調の歌詞に笑いが止まらなくなって、歌えなかった覚えがある。

シューベルトの楽曲はなんとなくこじんまりとしていて、美しいものが多いと思われがちである。
しかし私が1番好きな曲は最後の交響曲。
いわゆる「未完成」ではなく、その前後に書かれた壮大な曲で、私が若い頃は「交響曲第9番:グレイト」と呼ばれていたが、いつの間にか「交響曲第7番」になり、最近見たテレビでは「交響曲第8番」になっていた。
本当は何番なのかはっきりしないが、どうでもよい。
要はハ長調の曲である。

ホルンの旋律から始まる第1楽章。
美しい旋律から始まってリズミカルな曲調になる。
第2楽章は木管楽器が活躍する。
第3楽章は弦楽器の低音と管楽器の高音がマッチする。
第4楽章は金管楽器を中心に盛り上がって終わる。

この曲といい、「未完成」といい、シューベルトの曲としてはスケールが大きく、異質にも聞こえる。
しかしよく聞いてみると、随所に美しい旋律がちりばめられていて、シューベルトらしさを感じることができる。

シューベルトの曲も好みが限定されていて、このハ長調の曲は大好きで、その次は交響曲第5番。
「天国的な美しさ」と評した人がいるほどのきれいなメロディ。

その次に「未完成」。
楽章が二つしかない交響曲だから「未完成」といわれているが、曲を聴いてみると、これで完成してしまっているように思う。
第3楽章、第4楽章は必要ない。

10月19日 (火)    ブラームス

「ブラームスはお好き?」という映画があったような気がする。
ブラームスが好きである。
正確に言うと、ブラームスが好きなのではなくて、ブラームスが作曲した曲が好きである。
だが、好きな曲は極めて限定されている。

交響曲第1番は数あるオーケストラの曲の中でもベストテンに入るほど気に入っている。
この曲はブラームスが、ベートーヴェンの第9に続くような立派なものを という気構えで作ったので、構想を練り始めてから20年以上経ってようやく世に出たと聞いたことがある。
素人の考えながら、この曲はよくできていて、聞かせどころがたくさんあると思う。

第1楽章の冒頭、ティンパニが規則正しいリズムを刻むところからもうこの曲にはまってしまう。
それに続いて第1楽章は鮮やかな展開を見せて収束する。
第2楽章はヴァイオリンのソロが美しい。
第3楽章はクラリネットが美しい旋律を奏でる。
そして最終楽章。重々しい雰囲気から入り込み、徐々に盛り上がって最高のクライマックスに達して曲は終わる。
雰囲気がベートーヴェンの交響曲第9番に似ている。
昨日のチャイコフスキーの交響曲第5番と同様、最高に盛り上がって終わるというのがよい。

あと聞くのはピアノ協奏曲第1番。
ブラームスの初期の作品である。
少し荒っぽい点もあるが、溌剌とした曲で若さを感じさせる。

他には・・と考えてみると、他の曲はあまり好まない。
作品56。ハイドンの主題による変奏曲がまぁよいか。

ブラームスの曲は好きな曲は極めて少ないが、その好きの程度はかなり高い。
音楽プレイヤーにもいろいろな演奏者のものが入っていて、聞き比べを楽しんでいる。

10月18日 (月)    チャイコフスキー

最近はまっている作曲家の1人である。
通勤のお伴のプレイヤーに数曲、家のDVDに数曲入っている。
特に好んで聞いている。

その中でのお気に入りは「バレエ組曲・くるみ割り人形」
小さな曲がいくつか集まっているのだが、どれもこれも旋律がかわいらしく、明るい。
特に木管楽器の響きが美しい。
奏者にとっては難曲だと思う。
これを聞いていると心が安まる。
思い起こしてみると、高校生の時に一番最初に買ったレコードはくるみ割り人形だった。
アンドレクリュイタンスの指揮だった。

交響曲は5番がよい。
6番は「悲愴」という名前がつけられていて有名であり、5番はそれほどではないが、好みである。
この曲はくら〜い第1楽章が始まり、徐々に徐々に盛り上がるが、それでも暗い。
第2楽章は暗いながらも落ち着いた旋律。
そして第3楽章は美しいワルツ。
最後の第4楽章は勇壮なマーチで締めくくり とハッピーエンドになる。
これが快感である。
全曲聴き終わるとすっきりしてストレスが吹き飛ぶようである。

いろいろなオーケストラの演奏を聴いてきたが、やはりこの曲は金管ががんばって、少し早めのテンポでぐいぐい引っ張っていくのがよい。
最近見た中では、指揮者やオーケストラの名前はどちらも長すぎて覚えきれないが、ベネズエラの若い人たちで構成されたオーケストラの演奏が名演であった。
若さというパワーがこの曲にぴったりとマッチしていた。

チャイコフスキーの曲についてはまだまだ書きたいことがあるが、また次の機会に。

10月17日 (日)    渋滞

夕方4時20分頃、車で出かけようと、大分駅方面に行ったら、大分駅手前500mくらいから車が渋滞し始めた。
大分駅前を過ぎる頃からいわゆる「一寸ずり」の状態になり、待てども待てども前に進まない状況になった。

最近は車を運転することがめっきり減ったし、車を動かすのは朝が多いから、渋滞を経験することがなかった。
今日の渋滞は半端なものではなく、若い頃に都会で経験したようなものであった。

休日の夕方に福岡でバスに乗ると、天神から高速道路に入るまで相当時間がかかったことがあるが、このときは椅子の上で眠っていれば済むことなので、それほど気にならない。
しかし、自分が運転している車に乗っていると、渋滞はとてもイライラさせられる。
イライラする理由は、これがどこまで続いているのか、何分くらいで解消されるのかがまったくわからないからである。
あらかじめあと何分くらいで解消するということがわかっていれば、いらいらも少しは収まると思う。

大分駅前から1km弱を移動するのに40分かかった。
電光掲示板が明野まで9分と表示していたが、まだまだ混んでいたので、ウソが書いてあると思った。
ほどなく信号が青に変わったら、それまでの混雑がウソのようにすいすいと車は走り抜け、本当に9分で明野に着いた。

結局、何の変哲もない小さな信号交差点が渋滞の先頭であった。
渋滞はこんなところから始まるということがわかったことはよかったが、何となく腑に落ちなかった。

10月16日 (土)    部屋の片付け

次男坊が転勤で家を出るので、彼が使っていた洋室が空くはずであった。
彼が札幌から帰ってくる前にその部屋にあった荷物はほとんどすべてを和室に移動させたので、ひとつの和室が物置状態になっていた。
洋室がまた元の通りになると楽しみにしていたら、彼は転勤の時に、最低必要限の荷物のみ持っていき、趣味のものの大半を残していった。
それを整理しておけばよいのに、散らかしっぱなしにして出て行ったものだから、洋室は片付かず、極めて不愉快であった。

昨日の夜帰ってきた彼に片付けるように言ったにもかかわらず、まったく片付けようとしない。
こうなれば実力行使。
散らかった荷物を適当に箱に入れ、箱を適当に押し入れや部屋の隅に置き、本は本棚に入れて本棚は部屋の隅に置いた。
和室にあった3つの箪笥を運ぶのは1人ではたいへんだったが、かろうじてこの移動だけ彼は手伝った。

最初、洋室に散らかっている荷物の多さに愕然とし、これはいつになったら片付くのか考えも及ばなかった。
和室から移動すべき荷物もうず高く積まれていて、これもいつになったら片付くのかと思ったら気が遠くなった。

それでも気を取り直して少しずつ進めていったら、以外に早く終わり、和室にはすっかり荷物がなくなって、部屋としての機能を果たすようになった。
荷物が全部入るかと懸念された洋室も結構まとまりよく、居住スペースまで確保することができた。

やれやれである。
それにしても我が家には不要なものが多すぎる。
捨てなくてはいけないと思いつつ、貧乏性のためか、なかなか捨てられない。
しかし、広くなった部屋を見るのはとてもうれしく、これから機会を見つけて少しずつ使わないものを処分していかなければと思う。

10月15日 (金)    アンバランスな体型

スーツの季節になった。
ネクタイをすると首が締め付けられて肩が凝るが、やはり仕事をするにはスーツがよい。

既製品のスーツで身体に合うものがなくて困る。
ワイシャツはもっと困る。

スーツは身長を第一優先に選ぶから、そうやって選ぶとたいていウエストが大きすぎて袖が短い。
しかしときどき細身体のものがあって、よいものが安く売られていると買ってくる。

一番困るのはワイシャツ。
首が細いので、首がジャストフィットするシャツを選ぶと胸回りと腹回りがきつい上に袖がちんちくりんとなる。
袖がジャストフィットするシャツを選ぶと首がだぶだぶになる。

首が細くて腕が長いというアンバランスな体型である。
よく背中で両腕が組める人は身体が柔らかいなどと言われるが、私は難なく組むことができる。
身体が柔らかいのではなくて、単に手が長いだけである。

ということで、最近はスーツもワイシャツもオーダーメイドで作っている。
少々高くつくが、やはり自分の身体にジャストフィットするのは快適である。
肩も凝らない。

費用は高くつくが、この歳になると少しくらいのコストをけちるより、身体の快適さを求める。
デパートで半年に一回くらい、スーツもワイシャツもお値打ちセールをやるから、そのときを見計らって少しずつ買って、家計に響かないようにと心がけている。

10月14日 (木)    鉄道記念日

今日は日本で初めて鉄道が走った日で鉄道記念日になっている。
鉄道記念日にちなんであちこちでお祭りが開催される。
大分でも23日に車両基地でイベントがあるようだ。

旅をするのには鉄道がよい。
ビールかウィスキーを片手に、テーブルには駅弁を置いて、流れゆく景色を楽しみながらお酒と料理に舌鼓を打つのは至福のひとときである。
夜行列車に乗って、車輪の音を聞きながらゆったりと時を楽しむのもよい。

旅行というと、目的地に行って、観光してごちそうをたべたら「はい、おしまい」というパターンが多かろうと思うが、私は移動中も楽しい。
むしろ移動をするのが楽しい。

なので、ときどき、朝から晩まで鉄道に乗っているだけという旅行を楽しんでいる。
同じ経路をたどっても、四季の違いによって景色が違うし、同じ季節でも天気によって違う。
一年経つと違う。

JR九州が罪なチケットを売っている。
「土・日ゲキヤス切符」
連続する土曜日と日曜日、九州新幹線を含むJR九州の自由席が乗り放題で10000円という切符である。

ちょっとどこかへ出かけてちょっとごはんを食べるとすぐに10000円くらい使ってしまう。
それが2日間、気の向くままに列車に乗せてくれて10000円はうれしい。

今回の発売が最後のチャンス!などとポスターが訴えている。
すでにこの切符を利用して何度も鉄道旅行を楽しんでいるが、「最後」と聞くといてもたってもいられず、鉄道記念日を機会にまたこれを使って一日中列車に乗って楽しむという旅行に出たくなった。

10月13日 (水)    万歩計

毎日万歩計を身につけて、歩いた量をチェックしている。
普通の日は少なくて9000歩。多い時は12000歩になる。
ちょうどよい具合である。
通勤に列車を使うから、そのおかげだろう。
休日もできるだけ街に出るようにして、9000歩を目標にしている。

夜、万歩計を見て愕然とした。
3608歩。
あまりに少ない。

今日は車で通勤した。
通勤で歩かないとこんなに歩かないのかと改めて知った。

以前から述べているように、生活の中に身体を動かすことを取り入れたいと思っている。
車で通勤をして、その分運動不足を解消するために散歩をするという考え方には納得がいかない。
通勤の中で歩けば一石二鳥である。

もっとも車でしか通勤できないという事情もあろうから、上記の考えを否定するものではない。

それにしても「歩く」という単純な運動も意識して行わないと達成できないことを痛感した1日であった。

10月12日 (火)    酒と睡眠

最近、飲む酒が変化している。
この夏、暑かったから、缶酎ハイとか、缶ビール(正確には第三のビール)が主役であった。
汗だくになって帰宅しての1杯は美味しかった。
これに慣れてしまって、涼しくなっても缶酎ハイと缶ビール(正確には第三のビール)。

以前のように焼酎をストレートに飲んだり、アルコール度数の高い清酒を飲むことがなくなった。
アルコール度数の高いお酒は胃に負担がかかる。
焼酎のお湯割りも一般には6:4が美味しいと言われるが、最近は4:6である。

薄いお酒を飲むようになったら、床につくまでにほぼ覚めるので、睡眠が快適である。
と言いたいところなのだが、最近思わぬ伏兵が現れた。

トイレである。
ほぼ毎日、夜中、1時間半おきか、3時間おきに起きている。
睡眠のサイクルに合っている。

おかげで熟睡感がない。
少しつらい。

10月11日 (月)    無題

秋らしいさわやかな1日であった。
今日は体育の日。
スポーツの秋である。
運動会が行われたところも多いと思う。
運動会はすっかりご無沙汰している。
昔は地区の運動会があって、楽しいひとときを過ごしたものだが、今は無理に運動をすると怪我をしそうでこわい。
無理のない程度に身体を動かすのがよいと思う。

今日の昼はちょっと楽しいことがあった。
久しぶりの体験であった。
詳しいことは内緒。
そういうのもたまにはよいなぁと思う。

今年最後の3連休も終わり、明日からまた授業。

10月10日 (日)    老化を感じる−感情

今日は2010年10月10日。
10が並んで縁起がよい。
結婚届を出したカップルが多かったそうだ。
結婚式場も賑わったという。

老化第三弾は感情。
老化というわけではないかもしれないが、最近気持ちに変化が出てきている。

まずは物事にあまりこだわらなくなった。
これまでは自分の価値観が基準であって、その基準軸から外れるものを理解することはできなかったし、他人にその基準を押しつけようとしていた。
最近は他人の価値観を許容できるようになったような気がする。
そうしたら気が楽になった。

次に比較しないようになった。
これまでは比較ばかりしていて、勝ち負けを意識するような気持ちがあったが、比較することに意味を感じなくなった。
そうしたら気が楽になった。

仕事を辞めた後の経済的なことをシミュレーションしてみた。
だいたいの見通しがついた。
定年になった後、どのくらいのお金が必要になるかを、自分の父親を例にして考えて具体的な数字を出してみた。
その数字は非現実的なものではなく、普通に暮らしていても達成できるものであった。
そう思ったら気が楽になった。

この「気が楽になった」というのは重要なことである。
少し前まで、老後のことが不安で不安でたまらなかったが、いろいろと分析することによって具体的な数値が明らかになったら、不安は小さくなった。

歳をとると頑固になると言われているが、いまのところ穏やかである。
もう少し歳をとったら頑固になるかもしれない。

10月9日 (土)    老化を感じる−外観

若い人たちに囲まれて仕事をしているから、気分は若者なのだが、ときどき鏡を見ると愕然とする。
しかし鏡に映った像は客観的に見れば年相応である。

頭髪がめっきり薄くなった。
鏡を2枚使って頭のあらゆる部位を見たら愕然とした。
前髪はしっかりしているから自覚しにくいのでタチが悪い。
頭頂部はすっかり薄くなっている。
慌てて育毛剤などを使い始めたが、どれほどの効果があるものか。

顔のシワも増えた。
写真を見ると愕然とする。
特に笑った時の顔のシワの数はすさまじい。
それから首。
首のシワというかタルミが目立つ。

体形の崩れも顕著になってきた。
内臓が下がってきたせいか、下半身に体重が集中しているのではないかという体型である。
それに反して手足が細い。
アンバランスである。

だが、これらの変化は仕方のないこと。
どんなに歳をとっても頭髪に変化がなく、シワもできず、体型もマッチョだったら逆に気味が悪い。
ときどき変化がない人もいるが、むしろ例外だろう。
外観は自分が気にするほど他人は気にしないともいう。
なので、外観の変化はあまり気にならないが、体型の変化はできるだけ防ぎたいものだ。

10月8日 (金)    老化を感じる−身体

10月の声を聴くようになった頃から、急速に老化を感じるようになった。

まずは眼。
パソコンのディスプレイを見ていたら、中心付近がぼやけている。
印刷物を見ていても、文字が薄く見えるところがある。
近くのものの焦点が合わない。
ごはんを食べている時に、おかずを口の近くまで持ってくると、ぼやけて見えない。
細かいものが見えにくくなることは老眼であろうが、中心付近のみ見にくくなっているというのは、何かの異常が考えられる。
単に老化で済まされないかもしれない。

歩くのが苦痛になった。
急にある日突然といった感じである。
30分くらいの距離なら歩くことは全然苦にならなかったのが、5分でも歩くのが面倒になってきた。
歩く速度も遅くなってきた。
明らかに足の筋肉が衰えている。

思いものがもてない。
毎日通勤で持ち歩いているかばんや、出張に持ち歩くかばんが重たくて仕方ない。
通勤用のかばんは、中身をダイエットしてみたが、やはり重い。
腕の筋肉が落ちている。

前にも増して夜中に目覚めるようになった。
そのたびにトイレに行く。
おかげで熟睡できず、一日中頭がぼーっとしている。
頻尿でもある。
朝目覚めが早いのは相変わらずである。
どんなに夜更かししても4時30分頃に目が覚める。
二度寝をしようと思ってももう眠れない。

体脂肪率の増加。
顕著である。
体重の増加はそのまま体脂肪率の増加になっている。

10月7日 (木)    転勤

次男坊に転勤辞令が出て、家を出て行くことになった。
引っ越しの日程は決まっていたのだが、本人は直前まで遊びほけていて、なかなか荷物を作ろうとしない。
引っ越しの前日にようやく梱包用の箱を買ってきて、当日に最低限持っていきたい荷物をまとめてそそくさと出て行ってしまった。
残された部屋はゴミの山と化していて、それに加えて持って行かなかった本なども散乱している。
その様子を見た時には相当腹が立った。

一晩経って朝起きても彼の部屋には彼の姿はなく、なにかがふっと消えてしまったような寂しい気持ちになった。
「休みが取れたら片付けるために帰ってくる」ということばを思い出したら、散らかっている部屋が逆にありがたいと思えた。

就職の初任地は実家から通えるところ という条件だったので、しばらくの間は家がまた賑やかになってうれしいなと思っていたが、半年でまた元の通りである。
もう少しいるかと思ったし、そう願っていたが、現実は思うとおりにならない。
期待されて転勤先の部署から声がかかったのだから、これは喜ばなければならないことではある。

が、

いつになっても親バカは抜けないものである。
いい加減に子離れをしないといけないなと思うが、なかなかそうはいかない。
情けない限りである。

10月6日 (水)    新歓コンパ

10月になり、5名の3年生を新しいゼミ生として迎えた。
夜、新歓コンパが街中で開催された。
今回のコンパには保育ゼミの3人の4年生も加わり、総勢15人の賑やかな会になった。
恒例により、お膳立ては4年生の仕事である。

若い人向けのお店で、料理も若い人向けであった。
日頃口にしないようなものがたくさんあって楽しむことができた。
2時間の会はあっという間に終わったような気がした。
とても楽しいひとときであった。

こういう仕事についていなかったら、こういうように若い人たちとお酒を飲んだり食べ物を食べたりすることはないだろう。
ありがたいことである。
こういう機会があると、最近の若い人の生の声を聴くことができ、若い人の関心事がよくわかる。

それはよいとして。

ゼミの実験は早くもフル回転。
月曜日からあれやこれやとめまぐるしくやっている。
一つ一つを覚えてもらわなければならないが、4年生が熱心にティーチングをしてくれるおかげで、順調に進んでいる。
一年前は右も左も器具のあり場所もわからなかったひとたちが、一年経つと後輩にいろいろなことを伝授するまでに成長している。
若い人の能力の高さを感じるひとときである。

実験の引き継ぎは4年生に任せておけば安心。
キーポイントになる部分だけチェックすれば大丈夫である。

3年生も熱心に実験に取り組んでいこうという意識が垣間見られて、これからが非常に楽しみである。
これから1年半の間、身体に気をつけてチームワークよく、仲良く楽しく厳しく真剣に卒論の実験に取り組んでいってほしいと願う。

10月5日 (火)    秋

キャンパスを歩いていたら、どこからとなくよい香りが漂ってきた。
金木犀の香りである。
この季節になると可憐な花をほころばせて、香りを放ち、心を和ませてくれる。
しっとりとした秋によく合っている。
真夏の暑い時期にこの香りが漂ってもうれしくない。
真冬に漂ってもむなしい。
夏が去って本格的な秋の訪れを感じさせてくれる。

10月に入ったらとたんに涼しくなって秋らしくなった。
夜は半袖短パンでは寒くて眠れない。
出勤の時間帯は半袖のシャツでは寒い。

秋といえば○○の秋。

食欲の秋。
秋に限らず食欲は旺盛である。
この夏は暑かったが、食欲は衰えなかった。
おかげで体重は維持され、体脂肪率は上昇した。

読書の秋。
秋に限らず年中図書館に行って本を借りてきて楽しんでいる。

行楽の秋。
秋に限らず四季を通してあちこち出向いている。

収穫の秋。
これがもっとも秋らしい。
月末には農林水産祭が開催される。
これが楽しみである。

10月4日 (月)    授業始まる

後期の授業が始まった。
キャンパスはまた学生で溢れ、賑やかになった。
やはりキャンパスは賑やかな方がよい。

開講して一週間はみんな真面目に?出てくる。
授業も1回目は早めに終わるのが多いので、常に学生が外にいる。
生協の食堂もかなり混雑したようだ。

私の授業は早速4,5限。
少人数の授業であったが、久しぶりに話をするということで、やはり緊張した。
もうこの仕事を22年もやっているのに、いまだに授業、それも第1回目の授業は緊張してしまう。

後期は前期と違って、入学や進級がないので、その点は気が楽である。
前期は特に新入生に気を遣う。
むこうも緊張している。

後期はちょくちょく祝日があったり、年末年始の休みがあるので、気分的には前期とくらべれば相当楽である。
授業の数も後期の方が少ない。
それぞれの授業の受講者の数も後期の方が少ない。

とりあえず月曜日の第1回目の授業は無事終了。
来週は体育の日でお休み。

10月3日 (日)    赤ワイン

例によって、1週間分の食材を買ってきた後、今日はお料理タイム。
先週、豚の角煮にチャレンジしたが、脂肪が多くて不満足なできであった。
今日もたまたま豚バラ肉ブロックが特売で売られていたので、これを買ってきて再びチャレンジすることにした。

昨日のパンとチーズが残っていたので、今日は赤ワイン。
料理を作りながら、味見と称してつまみ食いをして、これがワインのつまみにもなる。
フランスパンを切ってラスクにしたらこれがワインに合う。

昼間からそんなことをしていたら、夕方にはすっかり酔ってしまった。
赤ワインは悪酔いをする。
過去に何度もひどい目に遭っている。

夜になったら頭が割れそうに痛くなった。
血中のアセトアルデヒドの濃度が上がっているに違いないと思いつつ、飲み過ぎたことに後悔した。
けれども今日も生活が充実した1日。
部屋の掃除もやった。

明日から授業が始まる。
夏休みも終わった。

10月2日 (土)    白ワイン

休日は食材の買い物と料理に充てる時間が多い。
今日も朝は行きつけのスーパーマーケットで特売品をあさり、デパートの見切り品を偵察に行った。
そのあと、毎年恒例の大分市生活文化展を見に行った。
ここでの楽しみは、地域のご婦人がたが出展する郷土料理であったが、今年はブースがめっきり減っていて、ご婦人方が出展しているものが見あたらない。
本部席に行って尋ねてみたところ、昨年から開催要領が少し変わって、ご婦人がたは出展しなくなったとのこと。
業者さんによる出展もよいが、楽しみにしていたご婦人がたの出展がないのはさびしい。

デパートでイタリア展をやっていたので、これを見に行ったら、美味しそうな生ハムやチーズ、オリーブ、ワインなどが売られていて盛況であった。
生ハムにはとても惹かれたが、高価そうだったので買わなかった。
チーズも試食したらいくつかおいしいものがあったが、高価だったので買わなかった。
オリーブは試食をしたらおいしかったが、何となく買わなかった。
ワインは買わなくても家にある。

結局、安いパンだけ買い求めて、家に帰り、早い時間から白ワインを開けた。
冷蔵庫の中に、賞味期限が切れたカマンベールがあったので、それをあけてつまみにして白ワインを楽しんだ。
白ワインと言っても高級なものではない。
デイリーワインの安いやつである。

お金は使わなかったが、気分は裕福であった。
至福の休日である。
ワインをたしなみながら、パンとチーズを味わって、眠たくなったら微睡み、本を読んでゆったり過ごす贅沢な休日。

10月1日 (金)    暖簾

仕事の用件で小倉に出かけた。
用事が終わってから、魚町や旦過市場などを散策して食材をたくさん買い込んだ。
小腹が空いたので、B級グルメと思い、さて何を食べようかと思案したところ、小倉に焼うどんの発祥のお店があることを思い出して、そこに行くことにした。
前にも一度行ったことがあったが、場所を忘れてしまっていて、怪しげな記憶を頼りにうろうろしたら、お目当てのだ○ま食堂に行き着いた。

時計を見ると、15時過ぎであったので、やっているかどうか不安な気持ちを抱いてお店の中に入った。

この食堂はがんこそうなおばあさんが1人でやっている店で、店に入るとがんこそうなおばあさんが、キャベツを切っていて、準備しているのかと思った。

「できますか?」と尋ねたら、がんこそうなおばあさんは、
「暖簾下っとる」と一言。

おっしゃるとおり、失礼しました。
返すことばもなく、
「ひとつお願いします」 と注文して待つこと7分。

頑固一徹の焼きうどんは美味しかった。