5月31日 (土)    図書館

昨年の1月から2週間に一度、県立図書館に通っている。
毎回5〜7冊程度の本を借りてきて、たまに入る風呂の中で読んだり、通勤列車の中で読んだりしている。

借りてくる本のジャンルは「人生論」みたいなものばかりである。
この先の人生をどうやって生きていくかのヒントにならないかなと思って色々な人が書いたものを読んでみる。
それぞれ主義主張が異なっていて、共感できるものもあるし、自分には向かないなと思うものもある。

文章が滑らかで、一気に読める本もあれば、同じことを何度も繰り返したり、難しい言い回しや、長ったらしい文章で、途中で読む気が失せてしまうものもある。

自分の考えていることを相手に伝えるのは難しいものだと思う。
討論会のように双方向のコミュニケーションであれば、相手が理解しにくかったところを補足したり、質問を受けたりすることができるが、本は一方通行である。

話を元へ戻す。
図書館は本当にありがたい存在である。
書架をぶらぶら眺めていると、思いもかけず興味をそそられる本があったりして、そんな本を借りてきて読むと、新しい世界が広がったりもする。

難点は新刊書がすぐに読めないこと。
お金をかけずに本を読めることはありがたいが、図書館に頼るばかりではなく、書店にもたまには立ち寄ってみることも必要ではないかと思う。

5月30日 (金)    続・百日咳

つれづれ日記を贔屓にしてくださっている方で、一昨年百日咳にかかったという方から早速メールをいただいた。
百日咳に関する情報である。
知らないことばかりだったので、今日は提供していただいた情報を書くことにする。

呼吸器科の医師によると、乳幼児期に得た免疫は20〜30年で切れるらしい。
(ちなみに情報を寄せてくださった方は、乳幼児期から30年以上経過している。)
血液検査で抗体を調べたらすぐわかるらしい。
これははしかと同じ。
初期は伝染するので危険なのだそうだ。
処方される薬の一つとして漢方薬があるが、ひじょーにまずいらしい。
何より、百日咳は、ホントに百日死ぬほど咳が出続けるとのこと。

思い当たるふしのある方は是非医療機関を受診することをお勧めします。

5月29日 (木)    百日咳

昨年の6月にはしかが発生して1週間学校閉鎖になったことは記憶に新しい。
今年ははしかの発生を食い止めるべく、大学ではいろいろな対策をとっている。
したがって、今年ははしかについてはあまり心配しなくてよいだろう。

ちょっと気になるのが百日咳である。
専門家ではないのでよく分からないが、これも乳幼児がかかる病気で、一度かかれば二度とかからないといわれているらしい。
症状としては、咳が長期間続くらしい。

その百日咳にかかったという人をちらちらと耳にする。
先日の講義でも、学生の何人もが咳をしていて少し気になった。
今年は百日咳の流行がおこったなどということにならなければよいなと思う。

5月28日 (水)    パソコン

パソコンのこと。
今使っているデスクトップも購入してから7年も経ち、ハードディスクの容量も限界に近くなってきた。
新しいソフトの更新がうまくできなくて、F先生に助けを求めたところ、快く対応してくださって、そろそろ更新してもよいのではないのですかと勧められた。
早速見積もりを取ってみたら、高性能のマシンが驚くほど安い。
調達室の了解を得て来週更新することにした。
どんな調子になるか楽しみであると同時にうまく使いこなせるか不安である。

もう一つパソコンの話題。
ホームページを作成してもアップできないという事態が発生した。
もともとつれづれ日記を書くきっかけとなったのも、学生が作成した原稿がアップできないというトラブルに対して、助言を受けつつ、自分で対応できたことが発端である。

先週から原稿がアップできない状態が続いた。
前回とは様子が違う。
きちんとアップできるのであるが、更新できない。
N先生に電話をしてあれこれと助言をしてもらった。
すると、おかしくなっている場所を探し当てることができてこれまで溜まっていた一週間分の原稿を無事アップすることができた。

だんだん新しいこと、特にOA機器についていくことがむずかしくなっている。
そんな中、忙しいのに嫌な顔一つ見せず、親身に対応してくださったF先生とN先生には本当に心から感謝している。
ありがとうございました。

5月27日 (火)    流される毎日

5月も終わろうとしている。
なんだか中途半端な一月だった。
毎月、月末に自分なりの一ヶ月の仕事のまとめと、来月の仕事の計画を作ってシステム手帳に綴じている。
この習慣は最初に会社に入社した時からずっと続けているので、もう26年になる。
一ヶ月のまとめをすることによってその月を反省し、次の月に生かそうと思っている。

今月は仕事に対する充実感に乏しかった。
連休があって、月初めの出鼻をくじかれたことも一つの要因であろう。
しかし、普通の日は、研究室に長くいる割には、充実した仕事をしたという実感がないし、だからといって、遊んだかと言えば、遊んだという充実感にもかけている。
流される毎日が続いた。

一体この一ヶ月は何をして過ごしていたのだろう。
講義の準備に追われていたことが大きかったように思う。
以前にも書いたように、納得できる講義をしようと思うと、入念な準備が必要である。
これに時間をとられた。
それはそれでいいじゃないかと思うが、もっとテキパキと準備が進むはずであった。

実験もあまり進まなかった。
かろうじて、ずっと前から持ち越していた魚の品質についての実験にキリをつけることができたのが幸いか。
それより、論文執筆。
一体いつになったら書くんだい?と自問自答。
いい加減にしろと自分自身に叱咤激励。
しかし頭と体がついてこない。
いつになったら頭と体が動くの?

来週からは6月。
講義に明け暮れる毎日は変わらない。

5月26日 (月)     元気な一年生

入学して2ヶ月弱。
一年生もそろそろ大学生活にも慣れるとともに、疲れも出始める頃かなと思う。
今日の基礎ゼミは、ちょっと気楽に、お菓子を食べながら、自由に話をしてもらった。
おしゃべり会みたいなものである。

どの学生も元気に大学生生活を満喫している様子で、一安心した。
ただ、中には進路のことを考えている学生もいて、相談にのってみたが、すぐに解決できるものではなく、もう少し様子を見てやらないといけない。

「どの講義が一番面白い?」と尋ねたら、多くの学生が「望月先生の講義」と答えるので、「うまいことご機嫌をとるなぁ。でもその理由は?」と再度尋ねたら、内容が平易で、進め方が高校のときの授業に近いから親しみやすいからだという。
多くの講義は本来のというか一般的な大学の講義という雰囲気なので、まだまだついていくことが難しいらしい。

その講義「現代生活論」。この講義は意識して高校の授業に近い形で進めている。教科書を見ながら、重要事項を板書して、時には脱線して と、大学の講義としては失格かもしれない。
しかし、いきなり一般的な大学の講義ばかりではみんな疲れるだろう。
ひとつくらい、高校の続きみたいなのがあってもいいだろう。
難しい講義は他の先生に任せて、一人くらいイージーなものがあってもいいだろうと思って毎回の授業をやっている。
その評価が学生にとって好ましいものであれば、それは良しとすべきと思う。

これから7月末の試験まで、休みがない。
気候も梅雨に入り、暑くなる。
生活も慣れてきて寝坊をするようになる。

そのあたりは少し大目に見る。
うまいこと手を抜くのを覚えることも人生経験の一つとして必要なのではないかと思う。
厳しくしてもらうことは他の先生に任せて、夏休みまでは甘めに対応しようと思う。
後期になったら手綱を引き締めることにする。

5月25日 (日)    都会

両親の様子を見に行くついでに、久しぶりに生まれ育った都会の街を散策してみることにした。
とにかく人が多い。
もうそれだけで疲れてしまう。

溢れかえるモノ、ヒト。
買い物をしようと思ったら、多くの種類のものがありすぎて、どれを選んでよいか分からなくなってしまう。
無駄に疲れてしまう。

大分という街は私にとってほどよく住みやすい土地である。
欲しいものがあったとき、選ばなければ手に入らないということはなく、都会に出なければ買えないというものはほとんどない。
食べ物が新鮮でおいしい。
値段も安い。

ときどき外へ出ると、大分のよさを実感して帰ってくることができる。

5月24日 (土)    両親

2月に母親の調子が悪くなり、入院して、途中病院を移り、合計で約3ヶ月が過ぎた。
調子がよくなってきたので、今週の月曜日に退院した。
家に帰って、どんな様子で過ごしているのか気になったので、実家に様子を見に行った。

元気であった。安心した。
入院するまでは、話す言葉にも力がなく、どうしたものかと思っていたが、退院したらすこぶる元気。
大きな声で話をするし、話しながら大きな声で笑ったのには驚いた。
母親が笑うというのを聞いたのは何年ぶりのことだろう。

退院して家に戻り、本人はうれしかろうと思うが、なんとなく興奮状態にあるようにも見受けられた。
これが少し心配である。
しばらくたって落ち着くと、また調子の悪いところが気になりだして、具合が悪くなるかもしれない。
担当のケアマネージャーと密に連絡を取りながら、元気に過ごしていってほしいと思う。

遠くにいる息子はあてにならない。
あてになるのは父親である。
その父親は、母親が入院する時には、彼女の世話をすることに相当疲れていて、入院してしばらくの間は、開放感に浸り、生き生きとしていたが、入院が長引くにしたがって、1人でいることが不安だと訴えるようになった。

遠くにいるあてにならない息子は、ときどき電話をして様子を聞くくらいの今年かできず、歯がゆい思いをしていたがなんとも致し方ない。

ところが、母親が退院したら、彼のほうも元気を取り戻した。
世話をするという仕事がなくなって、エネルギーをチャージしたらまた気力が復活してきたのであろう。

とりあえず一安心。
しかし、この先何が起こるかわからない。
分からないことを心配していても仕方がないとも思うが、心積もりだけはしておいたほうがよいと思う。
問題は何か起こる時期がいつ来るかわからないということである。

5月23日 (金)    初夏の気配

日の出が早くなった。
出勤する頃の時間はすっかり朝である。
爽やかさを感じる朝が続く。

朝はそこそこ気温が低いので、長袖のシャツにスーツという格好で出勤する。
しかし、最近、授業などで一瞬でも屋外に出ると、強い紫外線と、暑さを感じるようになってきた。
季節はまさに初夏である。

この季節は野山の花も美しく、新緑も力強くなってきて、気持ちがよい。
入梅までまだしばらく時間もある。
この前、初夏に向けて、衣装ケースの中の衣類の入れ替えをしたが、そろそろ夏に向けての衣類の入れ替えをしなければならない。

5月22日 (木)    実験

4年生が就職活動、教育実習、部活など、研究室になかなか集まることができない状況の下で、久しぶりに実験を行った。
日程をやりくりして、ほぼ全員集まって、一気にやってしまおうということにした。

しかしながら、久しぶりに実験を行うということと、一度も経験したことのない作業や、慣れない作業があって、最初のうちはなかなかスムーズに進まなかった。
実験は時間との勝負という一面がある。

作業はできるだけ速く行ったほうが、誤差が少なくなる。
しかし、いい加減な作業を行っていては意味がないので、迅速以前に正確性が求められる。

結局、予定していた時間より少しオーバーしたが、正確に行うことができた。
学生達も作業になれたことと思う。

6月にはいると、実験が次々と予定されている。
6月は教育実習に出向く学生が多いので、これまた日程のやりくりに難しいことがあるが、一つ一つ丁寧にやっていきたいと思う。

5月21日 (水)    将来を悲観して

毎日のつれづれ日記を時どき読み返してみると、水曜日は暗い話が多い。
週の半ばで疲れが出るからであろうか。

暗いついでに今日は思い切り暗い話題。

よく「将来を悲観して自殺する」という中高年の人の話を聞くが、なんとなく理解できるような気がする。
他人から見ればどうーってことない小さなことでも、本人にとっては重大なことなのである。
小骨が喉に引っかかったような状態で、しばらくほっておけばいつかはとれるか、ご飯を丸ごと飲み込めば取れてしまうくらいの些細のことも、大きな骨が喉に突き刺さって、永遠に取れることがなく、それがもとでご飯が食べられなくなってしまうのではないかと心配するようなものである。

ここ最近、低調である。しかしそれはおそらく主観的なものであると思うのではあるが。
些細なことであると思われることが、重く心にのしかかって、悪いほうへ悪いほうへと気持ちが走っている。
このままいくと、将来はまるっきりよいことはなくて、悪いことばかりおこり、ついには身も心も朽ち果ててしまうような気になっている。

人生、山あり谷ありで、よいこともあれば悪いこともあって、それの繰り返しだということは一応理解しているつもりでも、今は勝手に自分が谷に落ち込んでいると思っているから、どうにもたちが悪い。
さらに悪いのは、谷といってもまだ谷底までかなり落ちなければならないのか、今が谷底なのかが分からないことが悲観的な気持ちに拍車をかける。

こんなときには、思いを誰かに聞いてもらって、共感してもらうのが一番嬉しいと思うのだが、その相手が思い浮かばない。
この人にと思って胸のうちを開いてみると、逆に相手方の話を聞かされて、却って疲れてしまうことを何度も経験しているので、誰かに相談したいとも思わない。

「人生とは重い荷物を持って坂道を登るようなもの」と言ったのは徳川家康ではなかったかと思うが、本当にそうなんだろう。
同じ荷物でも、その重さは人によって感じ方が違うし、同じ坂道でも、そのきつさは人によって感じ方が違うのだろうと思う。
荷物を軽いと感じることができて、楽な坂道だと思える人がうらやましい。
うらやましいが、他人のことをうらやましがったり、恨んだりしても自分のためには何の役にも立たない。
全ては自分の考え方一つ。
他人の評価を謙虚に受け止めることは大切であるが、それがもとで萎縮したり、へこたれていてはつまらない。
つまらないが、そういうときもある。

5月20日 (火)    マイク

数年前まで、講義が終わると喉が痛くてたまらないことがあって、下手をすると声が出なくなるようなことがあった。
しかし最近は喉が痛くなることがない。
その理由を考えてみたら、最近のほとんどの講義ではマイクを使っているためではないかと思った。

マイクを使えば大きな声を出さなくてすむので、喉に負担がかからない。
非常にありがたい文明の利器である。
しかし、スピーカーを通して聞こえてくる自分の声にはなんとなく違和感があって、これが難点である。

マイクを使って楽になった理由を考えてみたら、少し気が重くなった。
要するに、大きな教室で行う授業が増えたということである。
受講する学生の数が多くなったということである。

以前は、学生の数がそこそこであったので、中くらいの大きさの教室でマイクを使わずに大きな声を張り上げて授業を行っていたのが、大きな教室を使わざるを得ない状況になったのである。
学生の数が多いと、中には不真面目な態度をとる学生もいるし、遅刻してくる学生もいるし、私語が気になったりと、あまりよい気分ではない。

あまり気にしないようにしているつもりでも気になる。

昨年、特大教室で講義を行い、学生の授業評価を行ったところ、「私語を注意しない」という指摘が多かった。
これには反論したい。
教室が大きすぎて、学生がしゃべっているかどうかわからないのである。
自分はマイクを使っているので、その声しか聞こえない。

受講生が多いと、出席をチェックしたり、試験の答案を採点するのにも結構時間がかかり、負担となる。
しかし、考えてみれば、多くの学生が受講してくれるということは、それだけ私の講義に興味を持ってくれているということで、本当は感謝しなければならない。
だが、その理由が気になる。
講義の内容に惹きつけられて受講するのか、単位がとりやすいからなのか。
一度アンケートをとってみたい。

5月19日 (月)     台風

この時期には珍しく、というか私にとっては初めての経験であると思うが、台風がやってきた。
やってきたといっても上陸したわけではないから、それほどさわぐこともないが、季節はずれである。
台風と言えば、9月にやってくるというイメージがある。
子どもの頃、記憶にはないが、伊勢湾台風が東海地方を襲ったのは、9月の末であった。
最近、台風がやってくる時期が早まっているように感じる。
昨年も8月のあたまにやってきて、逃げるように家に帰った覚えがある。
7月に来ることも珍しくなくなった。

昔と比べると気候が変化している。
これをおかしいと感じるか、変化と感じるか。
おかしいと感じれば、自分で何とかしようと考えるが、相手が自然であれば自分の力ではなんとも太刀打ちできない。
異常気象だ、おかしい、どうしてだろう、と考えても昔に戻るわけではないので、自分の力ではなんともならないことは、深く考えずに変化したなぁくらいに思っておくほうが心の健康によい。

世の中、自分の考えでどうにかなることと、ならぬことがある。
これまでは、自分の考えではどうにもならないことにも心配して、どうにかしようとして、無駄に疲れていたが、どうにもならないことがほとんどであると半ば開き直ってしまったほうが楽になれるかもしれないとふと思った。

自然現象に抵抗することは無駄以外の何ものでもないと思うし、人間関係においても、自分の理解を超えるようなことをする人に対しては、無理に抵抗したり、議論して、自分の考えを納得させるよりも、そういう考え方もあるのだなぁと思ったほうが気楽なのかもしれないと思ったりもする。

まずは相手の価値観を理解することが大切なのだと思う。
台風の話題から著しく離脱してしまった。

5月18日 (日)    健康の三原則

健康の三原則は「運動・栄養・休養」であるといわれている。
講義でもそのことを話す。

最近の様子を振り返ってみて、まず、栄養については、体重の変動が少ないので、良好であると判断している。
飲酒量も減って、適量である。一つ問題点を挙げるとすれば、たんぱく質が不足気味かもしれない。
もうひとつあった。甘いものを食べる量が増えている。

次に運動である。これは疲れを残さない程度に体を動かすこと。それが定期的であることが必須の条件である。
この観点からすると、毎日の通勤で歩くし、30分以内で歩けるところへは車を使わないから良好である。
加えて最近はボウリングに行くので、少しばかり筋肉がついたような気がしないでもない。

最後に休養。最近はこれに力を入れている。しかし、休養と一口に言っても「休む」と「養う」の両方があり、それぞれの性格は異なる。
最近の休日はいろいろなことをやってしまい、「養う」比重が大きくなっている。
「休む」にかける時間が減っている。
それは睡眠不足に如実に現れている。

「養う」ことに熱中すると、ついつい夜更かしをしてしまって、寝不足になる。
そうなると、次の日がつらい。
それが続くと、体がきつい。
頭のキレも悪くなる。

たいくつを楽しむことができるのは、人間だけであるという。
たいくつにも限界が来て、どうか何かさせてくださいと言えるほど何もせずに休む時間をとることができたらよいなと思う。
何日くらいで限界が来るのかは予想がつかないが、とにかく一度やってみたい。

5月17日 (土)    アルゲリッチ音楽祭

今年もアルゲリッチ音楽祭が開催されている。
10年目になったという。
よくもあのような世界的な演奏家が大分に来てくれるものだといつも感心している。
運営に携わる人たちの並々ならぬ情熱があるのであろう。

ありがたいことに、「チケットがあるのだけれども、急に行けなくなったのでよかったら行かないか」とチケットを下さる人がいて、二つ返事で頂戴して、「室内楽・マラソンコンサート」と銘打ったコンサートに出かけた。
昼の15時から始まって、終わったのが20時過ぎである。

途中休憩もあったが、あっという間の5時間であった。
日頃室内楽はほとんど聴かないので、どの演奏曲目も初めて耳にするものばかりであった。

演奏の内容は、新聞で紹介されたとおりのすばらしいものであった。
特にアルゲリッチのピアノは筆舌に尽くしがたい。
比べては悪いが、もう1人のピアニスト、この人も相当よい演奏を聴かせてくれたのであるが、本当に彼と同じピアノを使って演奏しているのかと思えるほど、音色が違っていた。

あるときは宝石をちりばめたようなきらびやかな音色。そしてあるときはパワー炸裂の迫力。
このコントラストがすばらしい。
テクニックが完璧であったことは言うまでもない。

このようなレベルの高い演奏会はそうそう体験できるものではない。
日頃音楽はCDで楽しむことがほとんどであるが、生の迫力にはかなわない。

5月16日 (金)    分析データ

昨日と今日で、医学部に行き、分析実験を行った。
久しぶりに4年生がほぼ全員揃って実験を行うことができた。
昨日はサンプルをセットし、今日は分析結果をとりに行くこととなった。

この分析は、4年生にとっては今年の1月にやって久しく時間が経っているので、うまくいくかどうか非常に不安であったが、去年の卒業生の引継ぎがよかったのと、今年の4年生のチームワークのよさで、大きなトラブルが起こることなく分析が終わった。
分析途中で、パソコンのメモリーが不足して、今日は分析が全て終わっているつもりであったが、2サンプルの再測定を行った。

研究室に戻ってきてから、とりあえずのデータ解析を行ったが、結果を見て驚くというか、感心した。
結果はウソをつかない。
以前にもこのつれづれ日記で触れたことがあるが、設定した実験条件がそのまま結果として反映されている。
今回の分析は、その条件が結果として現れるかどうかを検証したかったので、出てきた結果はきわめて好ましいものであった。

実験はきちんとやれば正直に結果が出てくるものである。
いい加減にやったらわけのわからない結果が出てくるのものである。
したがって、実験は正確を期して行わなければならないことは言うまでもない。

しかしときどき、仮説と異なった結果が出て頭を悩ませることがある。
そういう時はとかく都合のよいように解釈しがちであるが、「データはウソをつかない」ということを肝に銘じて、どうしてそういう結果になったのかを十分に考察しなければならない。
それが実験の面白さであり、難しさでもある。

5月15日 (木)    監事との面談

大学での仕事は、一人こもってやるようなものが多い。
私だけかもしれないが。
すると、周りの様子や、大学の方針、他の先生方がどのようなことを考えているのかといった外部の情報を得る機会が少ない。
情報が少ないと、悪いほうへ悪いほうへとついついマイナス志向になってしまうのは私の欠点の一つである。

今日は、年に一回の監事との面談の機会があった。
大学がどのような方向性に向っているのか、この先どのように運営されていくのか、将来はどうなるのかといったことを知ることができて大変有意義だった。
それに加え、出席した先生方の意見を聞いて、自分と同じようなことを考えているのだなぁとも思った。
さらには、思ったことはどんどんアピールしていくべきであると思った。

かなり以前にもこのつれづれに書いたと思うが、大学は今猛烈な転換期である。
なかなかこれについていけない。
ついて行こうとして、疲弊してしまっている。

しかし、考え方をちょっと変えるだけで、ついていける方法もあるなと思った。
こういう発想の転換が柔軟にできないとき、ひとりでこもっていることの悪さを感じる。

面談が終わって、監事から「相変わらずお忙しいのでしょう」とねぎらいの言葉をかけていただいたのはとてもうれしかった。
忙しいのは私だけではないだろう。
もっともっと忙しい人はいっぱいいる。
しかし忙しくても充実していればよいのであろうが、今の私は充実感を実感できない状態にある。
理由はよくわからない。
これまで仕事にべったりとくっつきすぎていたせいかもしれない。
時には距離を置くことも必要かもしれない。
けれども、ほぼ自分のペースで自分の思うとおりに進めていける今の仕事には感謝しなければならない。

5月14日 (水)    睡眠不足

毎日4時40分に起床するのは、完全に習慣化してしまったので、目覚ましがならなくとも目が覚める。
6時には家を出て6時45分には研究室にやってくる毎日である。

連休明けから講義が本格的に始まり、なんとなく落ち着かず、まとまった時間もとりづらいところへもってきて、毎日細かい仕事が結構あって、毎日早く帰宅できるというわけではない。

家に帰って食事をして、すぐに寝るのは体に負担がかかるので、しばらくの間、本を読んだりして起きている。
すると、就寝時刻が遅くなってしまう。
必然的に睡眠時間が少なくなる。

これがとてもつらい。
もともと睡眠不足に弱く、毎日7時間の睡眠を確保したいと思っているのだが、ままならない。
それがたたって今週は早くもお疲れモードに入っている。
加えて、今週は午睡をとる機会を逸している。

今日の教授会は長かった。
朝が早いから、夜はエネルギーがエンプティ状態になる。
遅い時間になっても、精力的に報告をしたり、意見を述べたりする先生方はスタミナがあるなぁと感心するとともに、うらやましく思ってしまう。
しかし、そういう先生方は、朝の出足が遅いせいかもしれない。

夜が強い人と朝が強い人。私は後者であるが、世間一般、特に大学教員は前者が多いような気がする。
おかげで時間割を組む時に、1限をとることが容易である。
私はありがたいが、朝に弱い大多数の学生はつらいことだろう。

明日も1限から講義。

5月13日 (火)    授業の一日

火曜日は授業が3コマあるので、これで一日が終わってしまうといっても過言ではない。
毎年同じ科目で授業を行うので、基本的な内容は変わらないのであるが、受講する学生は毎年変わるので、同じことの話をしなければならない部分が多い。
いわゆる基本という部分である。
それに加えて、時代は変化していくので、最近の話題を付け加えて話を進めていく。

授業をやると、かなり疲れるが、準備にもかなりの時間をとられる。
最近は授業の準備と授業に追われる毎日。

明日も1限から。
午後からは教授会。議題が多くて遅くまでかかりそう。

5月12日 (月)     無題

4月が終わり、ゴールデンウィークも終わって、ようやく日常のペースに戻ることを実感する。
これから7月いっぱいまで、ほぼ一定のパターンの日々が過ぎていくことになる。
1年生も大学生活に慣れたように見えて、ひとまず安心であるが、ちょっとホームシック気味という学生もいるようなので、少し気にとめておかなければならない。

今週から講義は途切れることがない。
毎日毎日やってくる。
今年は講義をできるだけ1限にもってきて、午前中に仕事を集中できるようにした。
その分、夕方はなるべく早く帰るようにしようと思っている。

話は変わって昨日は母の日。
○○の日という中では、もっとも気に入っている日である。
母の愛はいつまでたっても深い。子どもはいくつになっても甘えている。
と言いながら、今年も結局母親には何もせずに終わってしまった。
今年は母親は調子が悪くて入院しているので、何かしようと思ってもできないと苦しい理由をつけておく。
もうすぐ退院するらしいので、退院したら顔でも見に行って、話し相手にでもなってこようかと思っている。

我が家の子ども達は、それぞれの気持ちを伝えていたようだ。
親バカがまた出た。
次男は1人暮らしをしているので、夜電話をしてきた。
特に話題といったものもないようであったが、ちゃんと母の日を意識していたのだろう。
長男はちっちゃいけれど、心のこもった花束を渡していた。
長男の彼女は、手作りのアクセサリーとメッセージのプレゼント。メッセージがあるというのがこれまたよい。

母の日に子ども達に日頃の感謝の気持ちを受け取った家内は、夜、自分の母親に電話をかけていた。
珍しく長電話だった。積もる話があったのだろう。
電話の最後はきっと「元気でやってね」とお互いに言っていたに違いない。

一番親不孝者だったのはこの私。
どうやって埋め合わせをしましょうか?

5月11日 (日)     発音

講義という人前で話をする仕事においては、ことばが相手に聴きやすく、わかりやすく、そして正確に使うことが大切だと日頃から思っている。
そのように心がけているつもりではあるが、思いどおりになっているかどうかはわからない。
ただし、手は抜いていない。

最近、放送のアナウンサーの発音が気になって仕方がない。
「10分」は「じゅっぷん」と発音すべきと思うのだが、「じっぷん」と言う。
「全員」は「ぜんいん」と発音すべきと思うのだが、「ぜーいん」と聞こえる。

これはこの地域独特の発音の仕方なのであろうか。
ときどき実家に帰ってローカルニュースを聞いていると、発音のイントネーションがその土地特有のものであることを感じることがある。
そういうのも気になってしまう。

などと好き勝手なことを言っている自分もときどき学生からイントネーションがかわっていると指摘を受けることがある。
「こればっかりはなおらないねぇ」と答える。

イントネーションは仕方がないとしても、正確な日本語の発音をするということは、大切なことではないかと思う。

5月10日 (土)    研究

今年のゼミは人数も少なく、こじんまりとしている。
だからといってパワーがないわけではなく、みんな就活やサークル、採用試験などの勉強に忙しいながらも、卒論の実験に熱心に取り組んでいる。

今年は、国からの研究費の補助を受けてのプロジェクトの研究が一段落したので、久しぶりに自由な研究ができる。
企業などとの共同研究に力を入れることができる。

共同研究は、学術論文になるような成果を得ることが難しいものがある。
今行っている共同研究も、学術論文にするようなデータが出るようなテーマは少ない。

大学はまだまだ学術論文がもっとも大きな評価の対象になっているような気がしていて、忙しいばかりで学術論文が書けない自分に対して焦燥感を抱くことがある。

しかし、社会連携担当の事務の人は、「社会貢献」は大学の大きな柱の一つであるという。
このひとことは私にとって大きく勇気づけてくれることばであった。

昨日も、進行中の共同研究に関する打ち合わせの会をもった。
実験結果はとても学術論文にできるようなものではないが、現場では非常に役に立つと評価された。
こんなふうに評価をしてもらえると、がんばって少しでも役に立てるような仕事をしようというエネルギーがみなぎってくる。

評価される仕事ができるのも、ゼミの構成員が一丸となって、実験に熱心に取り組む姿勢があってこそのものであると思っている。

5月9日 (金)    無題

連休が終わり、本格的に活動をしなければならない時期になった。
しかしながら今週は無駄に疲れているような気がした。
どうも寝不足でよくない。
早朝に研究室にやってきて、講義の準備をして、講義に出向き、戻ってきて出席チェックなどをやっているとすぐお昼になってしまう。お昼ごはんを食べると、どっと疲れが出てしまう。そして猛烈な睡魔が襲ってくる。

連休で生活パターンが乱れ、夜更かしする癖がついてしまったことがひとつの原因であろう。
連休中は寝坊していたが、それができなくなった。

猛烈な睡魔が襲ってきた時には、抵抗せずに、チェアーにもたれて午睡をする。
ほんの15分程度のものであるが、エネルギーが復活するような気がする。

かかりつけの診療所に、「毎日午睡をする習慣のある人は心筋梗塞になるリスクが有意に低い」という研究論文が紹介されていた。
そういう話を聞くと、なんだかうしろめたい午睡もいいじゃないかという気分になってくる。

午睡をするとすっかり意識がなくなるが、たいていの場合、自分の大きないびき声で目が覚める。

講義をしていると、ついうたた寝をしている学生を見かけるが、これは大目に見ることにしている。
「運動・栄養・休養」が健康の三原則であるから、体が休養を欲している時には、それを満たしてやるほうがよい。
講義の内容は、あとで友達に聞くなりなんなりして勉強すれば、80%程度は追いつくことができる。

講義をしているほうもときどき眠くなる。
一生懸命話をするので酸欠状態になってあくびが出そうになる。
そんな時は、黒板に向って、たくさん文字を書く間に内緒であくびをしている。
こんな内幕をばらすと内緒の話が内緒でなくなってしまう。

講義も結構疲れるのですよ。というか相当疲れるのですよ。

5月8日 (木)    学会での所感

先週参加した学会は、日本栄養・食糧学会の大会であった。
いろいろな立場から栄養のことや食物のことを考える研究者が集まる学会である。
大学関係者が最も多いが、そのバックグラウンドは、昔の表現で言えば、農学部、家政学部、医師、管理栄養士がほとんどである。

最近のこの学会には若い人と女性が増えた。
若い人は昔から多く参加していたかもしれないので、自分が歳をとったということだろう。
女性、特に若い女性の研究者の姿が目立つようになった。
世界最先端の研究を精力的に行っている姿を見ると、その情熱に頭が下がる思いである。

さて、この学会に参加していつも思うことであるが、肥満している人が極めて少ない。
日頃から、「肥満は生活習慣病の源」と学生にもっともらしい顔をして講義をしている人が肥満であっては、説得力も何もあったものではない。

みんなそれなりに日頃、食生活のことを考えて生活しているのであろう。
専門的知識をまず自分の人生に活かしているのではないかと思われる。

職業に見合った体型があると思う。
特に、他人に対して、肥満が悪いだの、食生活を考えなくてはいけないなどと、アドバイスする立場の人は、決して肥満してはいけない。
しかし、一度肥満状態になってみる価値はあると思う。
そして、その肥満状態から脱却することを一度体験すべきであると思う。
そうすれば、肥満している人の気持ちが分かるし、ダイエットのつらさ、楽しさを語るのにも説得力が増す。

毎年この学会に参加してお目にかかるある先生は、毎年体型が異なっている。
今年はえらく肥えたなぁと思っていたら、次の年は普通の体型に戻っていたりする。
人間のもっている弱さを認めつつ、それを克服することの必要性を自ら説いている。

5月7日 (水)    朝食

毎日の食事が、健康の維持増進に必要不可欠であることは言うまでもないが、朝食は特に大切である。
先の学会でも、「時間栄養学」というシンポジウムがあり、要は、体内の日内リズムがあって、それに添った形で食事を取り、活動をし、睡眠をとるのがよいという話である。

中でも朝食の重要性が改めて強調されていた。
心筋梗塞や脳梗塞など、いわゆる血栓の生成による致命的な疾病は9時から12時までの午前中に発生することが多いことが知られているが、朝食をきちんと摂取することによって、このリスクはかなり軽減されるという。

脳のエネルギー源はブドウ糖であるから、朝食にはブドウ糖の供給源となる炭水化物、特にでんぷんをきちんと摂取することは、午前中の活動をアクティブに行うのに必要である。
朝食にはごはん、パン、シリアルなどででんぷんをしっかり補給しなければならない。

私の朝食は早い。たいてい5時半頃である。
ご飯を中心として、これに豆腐か納豆をつける。味噌汁を飲む日もある。
パンの日はチーズトーストにして、コーヒーを飲む。プラス魚肉ソーセージ。
野菜を取ることができない日が多く、これが悩みの種である。

この時間には満腹になるほど食べることができないから、食べる量は少なめである。
そして出勤。歩いてやってきて、講義の準備や書類の作成、メールのチェックなどを行うと、1限のある日がほとんどなので授業に出かける。
終わって研究室に戻ってくると10時半。早くもおなかが減っている。
ここで甘いお菓子を少し食べて、午前中のエネルギーの追加。
そして昼になったら定番の昼食となる。

学生はとかく朝食を食べないといわれているので、今日の1限の大学院の授業で全員に朝食を食べてきたかどうかを尋ねてみた。
1人暮らしの学生もきちんと朝食を食べてきていたので大いに安心した。
食事の内容も悪いものではない。

しかし、野菜を食べることができていない。
私も他人のことを言うことができない。
野菜を食べるのには準備が必要である。
その時間をなかなかとることができない。
生野菜はたくさん食べたつもりでもほんの少量しか食べることが出来ない。
火を通したものがよい。

朝から野菜をたくさん食べる方法は何かないかと思って考えたら、白菜の漬物を食べることを思いついた。
少しにおいが気になるが、キムチならたくさん食べることができる。
しかし漬物は食塩の取りすぎにつながるので注意しなければならない。難しいところである。

健康の維持増進は食事から。
分かっていることではあるが、食事を1日2日乱しても、即効的に健康を害することはないので、なかなか理想的な食事をすることはむずかしい。

5月6日 (火)     ファーストフード

何を思ったか、何年ぶりかくらいに、ハンバーガーショップに朝食を食べに行った。
早朝はやることが多かったので、いつもの時間帯より大幅に遅れて、10時頃の朝食となった。
いつもなら昼ごはんといってもよいかもしれない。
朝だから店はすいているだろうとたかをくくっていったら、ごった返していた。
休日の朝食はこういう形で過ごそうという人が多いのだろう。

たまたま割引券というものが目に留まり、たかが数十円安いだけなのに、これに惹かれて出かけていったのである。
何年かぶりのハンバーガーは油っけが多くて、とてもくどかった。
朝食として食べられるようなものではなかった。

食べ物に対する嗜好は年齢と共に確実に変化する。
若い頃は、ハンバーガーが大好きで、毎日のように食べることもできた。
今は、もう2度と食べたいと思わない。
まずいというわけではなく、体が欲していない。

5月5日 (祝)     連休

学会も終わって、ようやくゴールデンウィークがやってきたという実感を覚えた。
昨夜帰ってきた時には疲れていたので、今日は家でごろごろするつもりだったのが、朝起きたら、何を思ったか、次から次へとやりたいことが出てきて、アクティブな一日となった。

3日間家を開けるとあちこち汚れるので、掃除をし、そのあと、あちこちにめまぐるしく動いた。
久しく感じなかったパワーである。

3日分の休日を一日でやっつけたような気分である。
好きなことをして過ごしているとまったく疲れを感じない。

何をして一日過ごしたかを書くのは遠慮するが、とにかく楽しい一日であった。
これぞ休日。これぞゴールデンウィーク。

連休明けからの仕事の活力源となるような一日であった。

5月4日 (祝)     学会

一昨日から学会が行われている。
最初、連休中に学会を開催すると聞いて、それだけで嫌気がさしてしまい、最初はまったく行く気が起こらなかった。
しかし、昨日の受賞パーティーがあるというので、それをメインと考えて、学会はおまけとして参加しようというつもりで出かけた。

しかし、多くの研究発表を聴いて、やはり出席してよかったなと思った。
今行っている研究に大いに参考になる発表もあったし、これからの研究に向けてヒントとなる発表もあった。
最近の話題を詳しく解説するシンポジウムもあった。

やはり、研究室の中に閉じこもっていてはいけない。
どんどん外に出て刺激を受けることが必要である。
そして、聴くだけではなく、自らの成果を発表することはもっと大切である。

プレゼンテーションのツールもどんどん進化して、今回はすべてパワーポイントによる発表であった。
どの発表も図表に工夫がされていて、感心してしまった。
若い人の発表に特によいものが多かった。

そういえば、卒論発表の時でも、どうやったらこんなにきれいにパワーポイントが使えるのだろうかと、学生の頭の柔軟性、覚えこみの早さに感心している。

歳をとってくると、どうしてもこういう新しいものについていくのが苦手になる。
大学教員をやっている先輩に、パワーポイントを作る時はどうやっているのか、どのくらい時間がかかるのか、と尋ねてみたら、若い人に頼んでやってもらっているよとあっさり返答された。

それも一つの方法であるかもしれない。
自分もある程度わからないと指示ができないが、若い人に作ってもらうと、その本人の勉強になる。
そういえば自分も若い頃、年配の先生に頼まれて、パソコンの面倒を見たものだった。
そして年配の先生が喜んでくださるのを嬉しく思ったものだ。

今の若い人たちは、そういうことを頼まれた時、どう思うだろうか。
仕事をさせてくださってありがとうございますと思うか、面倒なことを頼まれていやいややる、あるいはやりませんと断るのだろうか。

前者の考え方をする人のほうが将来性が格段に高いことは言うまでもない。

5月3日 (祝)    恩師

大学時代、卒論の指導をしていただいた先生が、学会賞を受賞されたので、そのお祝いの会があった。
そのときの、講座の先生方も集まり、先輩、後輩も集まって、楽しい会になった。

こうやって集まって懐かしい顔を見て、いろいろな話を聞くと、なんだか安らぐ。
若い頃の新鮮な気持ちに戻ることができる。

恩師が私も知らないような大昔の話をして、場を盛り上げてくださった。
昔はおおらかでのびのびと、しかし真剣に研究に取り組んでいた様子がよく分かった。

恩師は、弟子思いの人で、昨今の大学を取り巻く厳しい状況を憂慮されて、私たちが、満足のいく仕事ができているかどうか、気にかけてくださっていた。
いつまでたってもありがたいことである。

私はいつも恩師のように、人間的に優れた、研究にも秀でた、そして楽しく仕事ができるような人間になりたいと思いながら、人生を送ってきた。
しかし未だに足元にも及ばない。

5月2日 (金)    ホテル

今日から3日間、東京で学会が開催されるので出かけることにした。
年に一回あるこの学会には、発表がなくとも必ず参加して、新しい情報を得ると共に、先輩や後輩と話しをして情報交換をする有意義な機会である。

東京に出張に行く時、パックツァーを使うようになって、かなりの時間が経った。
毎回、出張先の場所の近くのホテルのツァーを使っている。

今回は、あまりホテルのない場所だったので、いつもより、少しグレードの低いホテルに泊まることにした。
しかし、パックツァーではなく、正規の料金を支払ってまで泊まることができるようなことは到底出来ない一流ホテルである。

やっぱり、いろんな面で物足りなかった。
部屋は狭く、といってもビジネスホテルよりは広い。
アメニティグッズはあまり充実していない。
食事はちっともおいしくない。

日頃から高級ホテルに泊まっていると(といっても出張旅費の中で認められている範囲である)、ワンランク落ちた時の失望感が大きい。
だんだん贅沢に、欲張りになっていく。

こういうことをすると、生活全体が欲張りになって、身分不相応のお金の使い方をしてしまう。
気をつけようと思う。
ホテルの贅沢は東京だけにして、それ以外の都市に泊まる時には、身分相応の、ビジネスホテルを使おうと思う。

5月1日 (木)    卒業生

この3月に卒業して就職した藤原菜生さんが訪ねてきてくれた。
彼女は会社の研修のために卒業式のときに会うことが出来なかったので、久しぶりに顔を見ることとなった。

いつもの元気な彼女の姿に安堵した。
むしろ、学生の時よりパワーアップしているかもしれない。
こういう姿を見るのは何よりうれしいし、頼もしい。

短い時間ではあったが、他の卒業生の消息とか、以前の卒業生の消息などを聞かせてもらった。
みんなそれぞれに多忙できつい日々を送っているようである。

自由の利く大学から、厳しい社会に入っていったのだから当然である。
しかし、社会人1年生。失敗も許されるし、何でも聞くことができる。
何も分からない、何もできなくて当たり前なのである。

求められるのは前向きに取り組む姿。
どんないやな仕事でも、難しい仕事でもとにかくチャレンジしてみる。
これが大切である。
これが将来に向っての大きな肥やしになる。
最初から後ろ向きになっていては先はない。

から元気でもいいから、作り笑いでもいいから、とにかく明るく振舞うこと。
そうすれば仕事も楽しくなる。